以下より、会報「民話」の一部内容などを紹介します。 部数に余裕があるものについては、冊子を配布することができます。 ご所望の方は、附属図書館内の民話研究センター(023-688-7544)までお問い合わせください。 |
創刊号(2001年 6月)・ | 第 2号(2001年12月) |
第 3号(2002年 3月)・ | 第 4号(2002年 6月) |
第 5号(2002年12月)・ | 第 6号(2003年 3月) |
第 7号(2003年 6月)・ | 第 8号(2003年12月) |
第 9号(2004年 3月)・ | 第10号(2004年 6月) |
第11号(2004年12月)・ | 第12号(2005年 3月) |
第13号(2005年 6月)・ | 第14号(2005年12月) |
第15号(2006年 3月)・ | 第16号(2006年 6月) |
第17号(2006年12月)・ | 第18号(2007年 3月) |
第19号(2007年 6月)・ | 第20号(2007年12月) |
第21号(2008年 3月)・ | 第22号(2008年 7月) |
第23号(2008年12月)・ | 第24号(2009年 3月) |
第25号(2009年 7月)・ | 第26号(2009年12月) |
第27号(2010年 3月)・ | 第28号(2010年 7月) |
第29号(2010年12月)・ | 第30号(2011年 3月) |
第31号(2011年 7月) | 第32号(2012年 1月) |
第33号(2012年 7月) | 第34号(2013年 2月) |
第35号(2013年 7月) | 第36号(2014年 3月) |
第37号(2014年 8月) | 第38号(2015年 3月) |
第39号(2015年 7月) | 第40号(2016年 3月) |
第41号(2016年 7月) | 第42号(2017年 3月) |
第43号(2017年 9月) | 第44号(2018年 3月) |
第45号(2018年 9月) | 第46号(2019年 3月) |
第47号(2019年 9月) | 第48号(2020年 9月) |
第49号(2021年 9月) | 第50号(2022年 8月) |
創刊号(2001年6月21日発行)の内容 | ||
民話のこころ | 武田 正 |
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「水のたね」からこぼれ出た、 昔は今の物語 | 阿部 康子 |
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民話と人形劇 | 古瀬 百合子 |
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幼児教育と民話とわらべうた | 水野 則子 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介(1)「せんとくの金」 | 武田 正 |
民話講座(一)結びの句の地域性 | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(1) | 結びの句の地域性 |
『今昔物語』は「今は昔」で始まる。その流れで、民話は「むかしあったけど」で始まるのは、全国どこでも同じである。ところが、結びの句の方は、地域性が見られ、山形では「とーび」とか「とーびんと」で結ぶことから、山形は「とーびん系」の地域だとされている。ところが、聞き手の子や孫が、語り手の祖母に「もっと語れ」とせがむのを、やわらかく拒否する意味を込めて、「これで今夜の語りは終了する」という意図をもって、少しずつ結びの句に言葉が加わることが見られる。 山形県内で拾つてみると、こんな結びの句があつて、地域の特色がそこに現われる。 |
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(村山地方) | ○とーびんさいすけさいざぶろう。さいざの尻さ火がはねて、おいまの屁でぷつと消した。 |
(置賜地方) | ○むかしとーびん、さんすけぴったり釜のふた、灰で磨けばええ銀玉、さんすけふんはい。 |
(最上地方) | ○どんびんさんすけ、ほらの貝、ポーポーと鳴ったどさ。 |
(庄内地方) | ○とっぴんからりん山椒味噌、けたっと舐めれは、辛い辛い。 |
こんな結びの句で、聞き手は騙されて語りは終了したものだという。 |
第2号(2001年12月10日発行)の内容 | ||
民話と現代 | 常光 徹 |
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シャルル・ペローと靴の素材 | 阿部 いそみ |
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絵本(民話)の読み聞かせ | 水野 則子 |
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イランでみつけた「一寸法師」 | 奥山 俊子 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介(2)「真室川の昔話」 | 武田 正 |
民話講座(二)形式譚の成立 | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(2) | 形式譚の成立 |
昔話の結びの句が、「もう一つ語れ」と聞き手からせがまれることによって、次第に伸びてきたことは、前説で見たところだが、「本当にこれで今夜の語りは終わりだぞ」という決定的な話にしたものを、「形式譚」と柳田は分類した。その代表は何と言っても有名な「長い名の子」である。村の和尚に頼んでいい名を付けてもらおうと、和尚がお経の中から選んだのを、みんな付ければ一番いいと考えて、自分の子の名にした話で、古典落語の「ジュゲム」となって、昔話から落語になった一つである。 「長い名の子」の名前は、山形県内だ けでも三十話も発見されている。聞き手の子どもたちにとっては、語呂合わせの楽しい名前だが、大人にとっては、なかなか覚えられない。ある名語り手から、子どもの頃、それがおもしろくて、昔話が好きになつたという話もあった。 |
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(最上郡) | ○一丁二丁長太郎、長太郎びっき、長びっき、にんにく三把くさ三把、雁のかっしゃ雁左ェ門、えんむくむく、むくぜえむ、からすのかっしゃ、りぎ左ェ門やせ車。 |
(西置賜郡) | ○トクトクリンボウ、ソウリンボウ、ソウタカニュウドウ、ハリマノベットウ、チャワンニチャビシャク、チヤコボシ、セキヒノエイスケ。 |
一つ、憶えることに挑戦してみていかが。 |
第3号(2002年3月15日発行)の内容 | ||
おとなと子どもと民話と | 鈴木 実 |
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親父が話してくれた民話「三枚のお札」 | 渋谷 貞次郎 |
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アジアの民話(中国・ミャンマー・韓国) | 本学留学生 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介(3)「千貫長者」 | 武田 正 |
民話講座(三)火もらい婆 | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(3) 火もらい婆 |
江戸時代に評判の民話といえば、五大昔話と言われた「さるかに」「花咲爺」「カチカチ山」「舌切雀」「桃太郎」であった。 中でも「花咲爺」は躍動感があふれていて、聞く子どもたちを喜はせたから、江戸の元禄の頃に現われた、子どものための絵本「赤本」の材料として、よく取り上げられた。
婆さんが川に洗濯に行くと、川上から、赤い箱と白い箱が流れてくる。欲のない婆さんは、赤い小箱を呼び寄せる。 赤い小箱 こっちゃ来い 白い小箱 そつちゃ行け 赤い小箱はにこにこしながら、婆さんの方に流れてきたので、拾い上げると、その中に子犬が入っている。子どものいない爺・婆は子どものように育てる。やがて大きく育った犬は、ある日爺・婆を背中にのせ、畑で「ここ掘れ」というので、掘ってみると、宝物が出てくる。 それを知った、隣のぐうたら婆は、囲炉裏の火を消してしまい、火種をもらいに来る。この隣のぐうたら婆が「火もらい婆」なのである。そして宝物を教えてくれた犬を借りて行く。正直な爺・婆と欲ふかな爺・婆がよく対比されて、聞く子どもの心をとらえた話である。これが韓国では隣の爺・婆でなく、兄と弟の相剋の話になつている。どちらが聞く子どもの心を捉えるだろうか。こんな違いがある。 |
第4号(2002年6月17日発行)の内容 | ||
グリム童話と日本の昔話 | 小澤 俊夫 |
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民話とのスタンス | 熊谷 義隆 |
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アジアの民話(中国・韓国) | 本学留学生 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介(4)「雨夜の伽」 | 武田 正 |
民話講座(四)見るなの禁忌 | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(4) 見るなの禁忌 |
民話には、現実の世界でなく、異界を訪問するものが多い。また異界から人間界にやってきた異人と結婚して、やがて本性が暴露されて、別雛の悲劇を描いたものも多く見られる。こういった民話を聞く者は、目に見える三次元の世界だけでなく、こころの世界があることを知つて、白分の世界観をひろげて、「生きる」ことの意味を、より深く理解しながら、生きようとする意欲を強く持つことになつたのだろう。 異界への扉を開くときに、しばしば「これは見てはいけない」という禁忌を課せられるのであつた。あまりにも有名な「鶴女房」では、助けられたお礼に布を織るから、織るところを見てはいけないと約束させられるが、待ち切れずに、こつそり障子を開けて見てしまうと、そこには丸裸になつた鶴が、自分の毛を抜いて織つているのを見る。約束を破るという人間の浅ましさも描かれるが、聞く立場からすれば、そこがまた醍醐味とも言えよう。このような民話の日本での代表ともいえるのが、「見るなの座敷」である。留守番を頼まれた旅の坊さまは、十ニの部屋を見、最後の部屋だけは見るなと言われたが、忘れて見てしまうと、その部屋には梅の枝に鴬が止まっていて、鴬が飛び立つと、すべてが消え去るという、異界の奇妙な世界を見せている。 |
第5号(2002年12月10日発行)の内容 | ||
「昔話」と「民話」の政治学 | 石井 正己 |
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昔話の文化としての役割 | 十束 支郎 |
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アジアの民話(韓国・中国・ミャンマー) | 本学留学生 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介(5)「羽前小国郷の伝承」 | 武田 正 |
民話講座(五)山うば | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(5) 山うば |
もっとも人気のある民話の一つに、「食わず女房」がある。「三枚のお札」も喜ばれる民話である。それには山の妖怪の「山うば」が登場する。妖怪といえばすぐ鬼を連想するが、鬼は妖怪の中でも最も恐ろしい妖怪である。鬼は中国から渡ってきたもので、中国では死霊のことだという。だから恐ろしいのは当然で、よく知られた「大江山の鬼退治」の鬼は源頼光が三枚も重ねてかぶつていた兜にかみついて、その歯が通るほどだったという話が語られている。 ところが「山うば」は、いかにも日本的で、他の国には例を見ない妖怪である。文学史の中では近松の浄瑠璃にも登場する。民話の山うばは、恐ろしさの一方で、いかにも人間的な一面を持っている妖怪として造形されているものも見られる。 秋田で発見された「山うばのくれた布」というのは、山でお産をすることになった山うばが、村の人たちにお産の手伝いを頼むが、恐ろしくて誰も行かない。あるおばあさんが手伝いに行くと、無事出産した山うばは、一反の布をくれる。その布はいくら使っても尽きることのない布だつたという。いかにも日本的な話である。 |
第6号(2003年3月15日発行)の内容 | ||
山と川の民話(最上の民話) | 大友 義助 |
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インターネットで探る民話の世界 | 長野 眞 |
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昔話で空想を楽しむ | 片桐 道子 |
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語りえぬ民話の力 | 柳沼 良太 |
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新庄発!!少年かたりべに聞く | 芦野 朋子 |
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アジアの民話(韓国) | 本学留学生 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介(6)「五分次郎」 | 武田 正 |
民話講座(六)赤い小箱白い小箱 | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(6) 赤い小箱白い小箱 |
「花咲じじい」は歌で始まる。ばあさんが川に洗潅に行くと、
川上から赤い小箱と白い小箱が流れてくる。ばあさんはさつそく歌う。 赤い小箱、こっちゃ来い 白い小箱、そっちゃ行げ すると、赤い小箱はにこにことこっちに流れてくるので、それを拾う。 白い小箱はめくめく泣きながら、向う岸を流れて行く。 拾つた赤い小箱を開けてみると、小犬が入つており、子どもがなかったじいさんと ばあさんは、喜んで育てる。やがて犬は宝物を授けるところから、物語が展開する。 聞き手の子どもは、その歌を契機に、民話にのめり込むことになり、いつまで も記憶にとどめることになる。そういう目で見ると、歌は民話とセットになって、 聞き手の心に仕舞い込まれるものらしい。 「かちかち山」では狸がやってきて、じいさんの蒔く豆にいたずらをいう。 一粒蒔いたら千粒になれ 二粒蒔いたら二千粒になれ 狸は、「一粒蒔いたら腐れろ」。こんな歌が子どもには忘れられないものになる。 きっと歌は子どもの生活のリズムに合うのだろう。 |
第7号(2003年6月16日発行)の内容 | ||
山姥 | 長野 晃子 |
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イギリスの妖精たち | 秋保 愼一 |
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対人関係と昔話 | 福田 真一 |
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国文科地域づくりコース実地研修 | 本学国文科学生 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介(7)やまがた伝説考 | 武田 正 |
民話講座(七)百物語 | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(7) 百物語 |
相変らず「学校の怪談」が密かに小学校の教室の片隅で語られているらしい。 世の中が変革を求めている証拠だという意見もある。 江戸時代の寛文の頃にも大流行し、傑作『伽婢子』が禅僧浅井了意によって書かれ、競って読まれたばかりでなく、そういった怪談を語り合う会も、江戸の町のあちこちで開かれたという。 中には凝った会もあったらしく、部屋を暗くして、戸を開けるとそこに棺が置かれ、線香が立てられるといった会場が作られたこともあって、明治の文豪森?外の『百物語』に、その様相が写し出されている。 集まった人々は一本ずつローソクを持ち、自分が語り終えれば、自分の持参したローソクの灯を消すということになっていて、全員が語り終えて、会場が真暗になれば、本当の化物が出るから、五・六本残して、その晩の語りは終わりにすべきだとも言う。 山形でも若者宿で百物語の会が行われたものとされている。 |
民話第8号(2003年12月10日発行)の内容 | ||
現代伝説と都市民俗 | 小池 淳一 |
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太宰治と昔ばなし | 船越 榮 |
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民話と幼児教育カリキュラム | 山口 宗兼 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介(8)「とーびんと」 | 武田 正 |
民話講座(八)とんちばなし | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(8) とんちばなし |
小学校に入るころになると、新しいことに大変な興味を抱くようになる。男の子なら、「自動車はどうして動くの」とか、女の子なら「どうして赤ちゃんが生まれるの」といった質問を出して、お母さんを困らせる。新しい知識に異常な執着をするのである。民話について見れば、<とんちばなし>を聞きたがるのも、この年齢層の大きな特色である。そんな<とんちばなし>の代表が「和尚と小僧」である。 当時、和尚さんは村一の知識人で、お経が読めるというのは、まさにその証拠であると見られたのである。ところがその和尚さんが、小僧さんに、みごとにやられる話は、聞き手の子どもにとっては、痛快なことだったのである。和尚さんが小僧にかくれて飴をなめ、小僧には、毒だといって与えない。 和尚の留守に、小僧は飴をみななめてしまった上に、和尚が何よりも大切にしている茶碗を割っておく。和尚が帰ってきて、茶碗の割れたのを見て、びっくりするが、そのそばで小僧が泣いている。 「和尚さまの大切な茶碗を割ってしまったので、死ぬつもりで、和尚様が<毒>だといっている飴を、みななめたのに、まだ死ねません」と泣いていたという。それからは和尚さまも、飴を小僧に分けてやるようになった。 |
民話第9号(2004年3月15日発行)の内容 | ||
自然の掟 ―人身御供譚の語るもの― | 六車 由実 |
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民話語りと音楽劇 | 藤澤 孚 |
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子どもの自立と民話 ―「三びきのやぎのがらがらどん」が教えるもの― |
鈴木 義昭 |
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アジアの民話(韓国・中国) | 本学留学生 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介(9)「北村山地方の民話」 | 武田 正 |
民話講座(九)根あない話は語るな | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(9) 根あない話は語るな |
大きな蕪が畑にあるが、婆さん一人の力では引き抜けない。川原に水浴びに行った子どもたちがそれを見て、手助けにやってきて、「よいしょ」とみんなで引っ張ってくれたら、つるっと抜けてきたんだそうな。だから根のない話など、語るもんでない。 聞き手のお子さんが、「もう一つ語れ」と語り手の婆さんに、語りを所望すると、「もう語りは今日の分は終りだ」というのに、困った婆さんは、「根あない話は語れないもんだ」と、こんな話をしたものだという。この民話はロシアの民話にもあり、大変人気がある一つだという。 聞き手の中に聞き下手の子が混ざっているときに、他の聞き手が十分納得しているのに、一人だけが納得できずにいたり、質問したり不満の声を上げたりすると、「むかしはむっかえって、はなしははんじけた」などと、語り手の婆さんが大声で笑いながら、こんなことを言ったものだともいう。 聞き手のお子さんの中には、いろいろな癖をもったり、気がききすぎてみんなと一緒に聞こうとしない子が現れたりすることがある。そういった子をも入れて、みんなを楽しませる工夫を婆さんがやったものの一つであろう。だから民話にはよく智恵がいかされていると言える。 |
民話第10号(2004年6月16日発行)の内容 | ||
昔話のメッセージ | 川越 ゆり |
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関山峠の話 | 佐藤 晃 |
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「民話知らず」が「民話」を考える | 眞壁 豊 |
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国文科地域づくりコース実地研修 | 本学国文科学生 |
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アジアの民話(中国) | 本学留学生 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介(10) 「長者原老媼夜話―佐藤とよいの語り」 |
武田 正 |
民話講座(十)庚申の夜語り | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(10) 庚申の夜語り |
人には「三尸」という虫が住んでいて、十干十二支の「庚申」の晩に、眠ってしまうとその虫が人の体から這い出して、天帝のところに行って、それまで入っていた人の悪口を言うのだという。それを聞いた天帝は、「そんなに悪い奴は、殺してしまえ」というので、その人は病気になってしまうのだという。だから病気にかからないようにするためには、庚申の晩、この晩だけは、何をやってもよいから、眠らないで朝になるのを待つという「庚申侍」が、平安時代から見られ、清少納言の『枕草子』にも描かれている。 もとは中国の道教の教えで、中国から沖縄を通って日本にやって来た信仰である。多分神社の境内に「庚申碑」の建っているのは、よく見るところである。だから昔から「昔語りは庚申の晩」という言葉があり、民話を聞くのによい晩であったとされている。九穴の貝を食べて九百年の寿命をもらった東方朔という中国の人は、民話の中で、庚申の神さまだという話があり、その東方朔は九百年も生きたから、暦にくわしい人であったとされ、東方朔のことを、庚申の晩の民話として語ってから、いろいろな楽しい民話を子どもに語るというしきたりが昔はあったらしい。 |
民話第11号(2004年12月10日発行)の内容 | ||
韓国の現代伝説 | 島村 恭則 |
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高齢者の知恵 | 岩橋 成子 |
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『ぼく にげちゃうよ』 | 伊藤 道子 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介(11) 「東野の民話と語り部」 |
武田 正 |
民話講座(十一)桃太郎異聞 | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(11) 桃太郎異聞 |
どなたもご存知の「桃太郎」は、おばあさんが川へ洗濯に行き、川上から流れてきた赤い桃と青い桃を見て、赤い桃を拾って帰り、山から戻ったおじいさんと食べようと、まないたの上にのせると、桃が割れて中からおとこのこが生まれるところから始まる。 ところがおばあさんが川へ洗濯に行くのはなぜかというと、おもしろい。石川県、富山県それに福島県の相馬地方―ご存知、相馬野馬追いのある―では、こんな話になっているのをご存知だろか。 春雨がしとしとと降り、五月、六月になっても雨が止まない。するとお便所の屋根が破れて雨漏りがするようになって困る。 「じいさんや、お便所の雨漏りがひどいので、屋根を葺いてくださらぬか」と、おばあさんが頼むので、おじいさんは早速屋根に登って藁で屋根を葺くが、そのうち足を滑らせて、お便所に落ちてしまう。 「ああ、くさい、くさい。早く脱ぎなされ。さぁさ、早く早く」と、おじいさんの着物を剥ぎとって、川へ走り、洗濯をしたというのである。 聞き手の子どもをおもしろがらせるための、精一杯の工夫をして、こんな話になったのか、うまく作られている「桃太郎」である。 |
民話第12号(2005年3月15日発行)の内容 | ||
変化の行方は? | 剣持 弘子 |
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木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ) | 松川 俊夫 |
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「昔話の思い出」から | 佐東 治 |
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アジアの民話(韓国・中国) | 本学留学生 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介(12) 「小町伝説の誕生」 |
武田 正 |
民話講座(十二)早物語 | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(12) 早物語 |
早口で抑揚もなしに客の前で語ったという、「天保元年やかんの年に近江の湖に火が点いて、じんじぼんぼと燃えたれば、座頭が見つけ、おっちが火事ぶれ・・・・・・」といった、あり得ない話をずらずらと語る早物語が、山形県をはじめ、東北地方に多く残されている。最近、山陰地方にも、奄美大島地方にもあると教えられて、びっくりしている。 昔話は「むかし」から始まり、「とーびんと」で結ばれるが、早物語は「そうれ物語、語り候」で始まり、「・・・・・・の物語」で結ばれるのが一つの特徴であり、若者に人気があり、若者の昔話といってもよいほどに普及していたことが分かっている。山形県では特に庄内地方に多く見られ、二百話ほども発見されている。 こんな話は誰が持ち込んだのだろうかと調べてみると、江戸時代から流行した祭文語りという芸人や、越後から山形にやってきた盲目の芸人の瞽女さんたちであることが分かってきている。 祭文語りは第二次世界大戦後も人気があったが、日本での中心は何と京都と山形、特に山形市を中心とした地域であることが分かっている。その初心の者が、師匠の語り物の前座に、早物語をやって客を喜ばせたという。しかもその早物語のいくつかは、民話の世界にも横すべりして伝えられている。 |
民話第13号(2005年6月16日発行)の内容 | ||
広く深い民話の世界―柳田国男から現在まで― | 武田 正 |
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「民話」って何?~事典からのアプローチ(1) | 伊藤 弘昭 |
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先人からの贈り物 | 鈴木 泰子 |
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アジアの民話(台湾・中国・モンゴル) | 本学留学生 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介(13) | 武田 正 |
民話講座(十三)かわたれ時 | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(13) かわたれ時 |
柳田国男の『妖怪談義』という著作に、「かわたれ時」という名文がある。「彼は誰」の意味で夕暮れ時には、出会ってもそれが誰なのかはっきり分からないといった時刻のことをいうのだが、それは妖怪がうごめき出す時刻でもある。子どもの頃、「かわたれ時にはカクレンボ遊びはするものでない」と、よく叱られたことがあったと思い出すが、そんな時間にカクレンボ遊びをすると、神隠しに遭うからだと言い伝えがあったのである。 柳田の『遠野物語』に「寒戸の婆」の話がある。神隠しに遭って村から姿を消した娘が、三十年あまり後に、親類知音の人々が集まっているところに、老いさらばえて帰ってきて、村の人々に会って、再び戻って行った話である。その日は風の烈しい日だったから、今でも風の烈しい日を「サムトの婆」が帰って来そうな日だといっているのだそうである。 かわたれ時を黄昏(たそがれ)ともいうが、民話で事件が起るのは、きまって、昼と夜の境界である「かわたれ時」なのである。たそがれも「誰(た)そ彼」から来たとされている。民話には異界の動物や霊魂と接触をする話が多いが、その場所は川であったり、辻であったり、いわば、境界のことで、時間にすればかわたれ、場所にすれば境界なのである。 |
民話第14号(2005年12月10日発行)の内容 | ||
昔話の展望 | 花部 英雄 |
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「民話」って何?~事典からのアプローチ(2) | 伊藤 弘昭 |
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「祖母の民話が育んでくれたもの」 | 下村 一彦 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介(14) | 武田 正 |
民話講座(十四)しっかり語れ | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(14) しっかり語れ |
木地師の仕事は農作業が終った晩秋から春先までで、囲炉裏をかこんでの仕事である。夏に山からブナの木を伐ってきて、水に漬けておく。雪が積もると、その木を割り、削り、大きな釜で煮て、柔らかくなったところで、手で丸く曲げる。それを鋏にかけて、からからに乾かし、合わせ目を縫って仕上げる。いわゆる「曲げわっぱ」である。 各人が使う刃物は鋸・山刀・銑・小刀から焼きごてまで、囲炉裏端のかんな屑の中に転がっているから、幼児が母のおっぱい欲しさに囲炉裏端に近づくのは、大変危険なので、台所の隅の掘りコタツに、祖母が集めて昔話語りをしてくれたものだったという。だから幼児が飽きないように、しかもなるべく長い昔話を語ったものだという。 幼児が語りに飽きて、囲炉裏端の母のところへにじり寄って行ったりすると、祖父の声が降ってきたものだという。「しっかり語らねがら、子どもらが騒ぐ。しっかり語れ」と怒られたという。 だから、近所の婆様たちとお茶飲みに集まると、きまって、「長い、おもしろい話知らないか」と、昔話の種を交換したものだという。この村ではお年寄りの語りは堂々として、しかも飽きさせない、長い話が多かった。「だって語るのが仕事だったから」という話。 |
民話第15号(2006年3月15日発行)の内容 | ||
「寺社縁起」と「話」の生成 | 山田 厳子 |
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民話を語ってみて | 大類 孝子 |
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アジアの民話(韓国) | 本学留学生 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介(15) | 武田 正 |
民話講座(十五)無精くらべ | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(15) 無精くらべ |
およそこれほど無精な話はなかろう。あまりに働かないので、母がおにぎりを背中に結びつけて、息子に世の中を見てこいと追い出したという。歩いているうちに腹が減ってきたので、おにぎりを食べたいと思ったが、背中の風呂敷を取り出すのも、無精者だから、誰か通りかかった者にでも取ってもらおうかと歩いて行った。 ちょうどうまいぐあいに、向こうから笠をかぶった男がやってきたのに出会ったそうな。見ると、口を開けて、いかにも腹が減っていそうなので、声をかける。「お前さんが背中のおにぎりを取ってくれたら、おにぎり一つあげよう」というと、笠をかぶった男は、「いやいや、そんなお前さんのことなど、やってあげようとは思わない。おれの笠の紐がゆるんできたので、紐を手で結ぶのもめんどうだから、あごで笠の紐を口を開けて、おさえているんだ」と、通り過ぎて行ったという話である。「おれの無精を超えているな」と思ったということである。 こうした「何々くらべ」は民話に多いが、聞き手はここで、笑ってしまうことだろう。だがしばらくして、一人になって「無精くらべ」を思い返すと、きっと自分にも思いあたることに気づくに違いない。教訓を裏返ししたところに味のある民話ということだろう。 |
民話第16号(2006年6月5日発行)の内容 | ||
チェコの昔話と伝説 | 村上 健太 |
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「千歳山・万松寺伝説」 | 早坂 忠彬 |
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架空の世界を共有すること | 川越 ゆり |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介(16) | 武田 正 |
民話講座(十六)赤本・子どもの絵本となる | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(16) 赤本・子どもの絵本となる |
貞享の頃というから、松尾芭蕉が山形にやってきた数年前ということになる。それまでは大名に雇われて襖絵などを書いていた絵師がリストラに会い、絵本の絵を描くようになったという。子どもたちも買える本だから、ひどく粗末な絵で、すぐ見分けられるように、表紙を赤く染めてあったから、「赤本」と呼んでいた。 中でもよく売られたのは、囲炉裏端で祖父母からよく聞いたことのある「民話」であったようで、紙が悪いので、一度読むと捨てられてしまうことも多かったろうが、残っているのを見ると、まずは「桃太郎」であり、「カチカチ山」「雀のお宿」「花咲じじい」「サルカニ合戦」などであった。もちろん「年中行事」のことや「春の草摘み」「田植・稲刈り」のことなども赤本になったが、民話ほどには売れなかったらしい。 赤本の中には大変な豪華本もあって、山東京伝よる『桃太郎金太郎雛鶴笹湯の寿』ははしかにかからぬように買い求めたものだったという。 明治時代になって、小学国語読本に「桃太郎」をはじめ「花咲じじい」などが次々に教材化されるようになったのも、国語の教科書として利用しやすいものであったからであろう。 |
民話第17号(2006年12月15日発行)の内容 | ||
子どもたちに語ってもらいたい!! | 佐藤 涼子 |
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<髪長姫>の流転 | 菊池 仁 |
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民話の言葉 -録音資料とガリ版資料のズレからみえるもの- |
加藤 大鶴 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介(17) | 武田 正 |
民話講座(十七)陰陽師安倍清明のこと | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(17) 陰陽師安倍清明のこと |
『今昔物語』や『宇治拾遺物語』『古事談』にすぐれた占験を行って名をなした人物とし
て登場する。それがいつしか囲炉裏端での祖父母の民話語りにまぎれ込んで、子どもたちに
も親しい人物になって語り継がれることになる。 たまたま安倍晴明の父親たる安倍保名が、逃げてきた狐をかくまってやった。恩を感じた 狐は女に化けて保名の妻となり、二人のあいだに生まれた子が晴明である。ただし、晴明に 乳を与えているうちに、本性を出してしまったことから、子別れの悲劇があり、その時に、 鳥や動物の言葉がわかる道具を置いて行く。それで子の晴明が稀代の占師になったという話 になる。 中世の時代、盲目の芸人瞽女の芸となって、多くの聞き手の涙をしぼったもので、昭和の 十年代まで大変な人気のある芸の一つであった。 目の見えない人が一人で食べて行くのは大変な時代だったから、その芸も、三味線から始 まり、年老いても枯れない声を身につけるために苦労したものだという。哀切な子別れの場 面は、特に聞く人の紅涙をしぼったもので、瞽女が来たということになると、家を留守にし て、全員が聞きに行ったという。特に山形では人気があっていつも満員であった。 |
民話第18号(2007年3月15日発行)の内容 | ||
聞いた記憶、見た記憶 | 中村 とも子 |
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フランスのブルターニュ地方版 「瘤取り爺さん」 |
阿部 いそみ |
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アジアの民話(韓国) | 本学留学生 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介(18) | 武田 正 |
民話講座(十八)マヨイガ | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(18) マヨイガ |
『遠野物語』に二話のマヨイガのはなしがある。三代ほど前で、まだ貧しい頃に、少し魯
純な妻が蕗を採り、小川をさかのぼり、ずっと行くと黒門があり、中をのぞくと紅白の花が
咲き、鶏がいっぱいおり、牛小屋、馬小屋にもいっぱい牛・馬がいる。玄関から中をのぞく
と、朱膳や椀が出してあり、その奥の間に火鉢があり、鉄瓶の湯がふつふつとわいている。
何となくうすきびわるくなり、山の男の家かも知れぬと、そのまま戻ってきて、周囲の人に
言ったのだが、誰も信用してくれない。 ある日、門のそばを流れる小川で洗い物をしていると、きれいな椀が流れてきたので拾い 上げる。だが拾った椀を使って食べたりしたら叱られると、こっそり米櫃で米をはかるのに 利用していたが、そうしたら米はちっとも減らず、やがて裕福になったというのである。 こう見てくると、マヨイガは「迷い家」のことで、昔話によく登場する幻想とも思われる 家のことで、『グリム童話集』に描かれるお菓子の家と言ってもよいかも知れない。 事実、婿に入った人が実家へ行くとて山中に迷い、マヨイガに入ってようやく実家に着く が、次の日に知り合いをつれて行ってみたが、ついに見つけられなかったという。まさにマ ヨイガを考え出したのは、昔話の愛好者にちがいない。楽しんで作ったのだろう。 |
民話第19号(2007年6月21日発行)の内容 | ||
橘為仲と宮城野の萩 | 佐倉 由泰 |
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~民話にときめく~ | 澤 恩嬉 |
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<翻刻・再録>昔話・語りの世界(一) 牛方と山姥 ―みちのくの母・海老名ちゃうさん(上)― |
武田 正 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介(19) | 武田 正 |
民話講座(十九)二人の名医 | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(19) 二人の名医 |
むかし、村に二人のすばらしい医者がいだっけど。首をすっぽり切っても、その医者がぴ
たりと合わせてなでると、ぴったりと付いて元通りになる、それほどの名医者だったんだど。 すると、村の中では、本当に上手な医者はどちらだという噂が持ち上がった。あっちの 医者の方だろう、こっちの医者の方だろうという話が、いつか二人の医者の耳に入ったもの だから、「では、どっちが上手か、競ってみよう」ということになったというのです。では どうして競うかということになって、二人の医者が一緒に、相手の首を切り、それをまた付 けてみることにしたらいいだろうということになった。 いよいよ当日になった。村の人たちは一人残らず村の広場に集まって、二人の名医者の対 決を見守るために、朝早くからやってきて、いい場所を取り合ったという。 いよいよ、二人の名医者がそろって、相手の首を、「えい」とばかり切りつけると、コロ ンと二人の名医者の首がころがった。だが誰もその首を拾って、元のように付ける人がなか ったので、二人の名医者は死んでしまったとか。 また首を取りちがえたので、首は付いたが別の医者になってしまい、名医者ぶりが見られ なくなったという話もある。 |
民話第20号(2007年12月27日発行)の内容 | ||
これからの語り | 大島 廣志 |
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喋る人、柳田國男 | 森岡 卓司 |
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<翻刻・再録>昔話・語りの世界(一) 牛方と山姥 ―みちのくの母・海老名ちゃうさん(下)― |
武田 正 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介(20) | 武田 正 |
昔話絵本の世界 (1) 「異能の兄弟」の物語 |
川越 ゆり | |
民話講座(二十)小僧改名 | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(20) 小僧改名 |
和尚と小僧の話は、民話の中に非常に多い。江戸時代まではというよりは、今も和尚はそ
の土地の知識人なのだが、その和尚が小僧のとんちにやられるというのは、昔話を聞き慣れ
た十歳ぐらいの聞き手になれば、楽しいこと限りなしだろう。 小僧たちが部屋に戻って、横になるのを待って、和尚は、囲炉裏に酒を温め、灰を掘って、 餅を焙り、煮物で酔うのが楽しみなのを知った小僧三人は、和尚に「改名」を申し出る。 「ぐづ・ぷっぷ・ええかん」にしてくれという。それはおもしろいと、改名を認める。 さて、次の晩、和尚は例の通り、煮物の鍋を囲炉裏にかけると、「ぐづぐづ」と煮える。 すると、「ぐづ」は「はーい」と出て行く。餅が焙れてきたので、取り上げて、餅についた灰 を「ぷっぷ」と払うと、「はーい」と返事をして出てくる。 酒がちょうどよく燗がついたので、「ええかん」と盃をとると、「はーい」と返事して三 人の小僧が出てきたので、和尚は仕方なしに三人に馳走したという。 同系の「和尚と小僧」はこの他にも「焼き餅和尚」「餅は本尊様」「小僧の小便」など十 種にあまる小僧のとんち話がある。 |
民話第21号(2008年3月15日発行)の内容 | ||
自分なりに語りを楽しむ | 大場 惠子 |
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山形の「民話」を題材とした日本語 副読本の作成とパプアにおける活用支援事業 |
阿部 康子 |
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<翻刻・再録>昔話・語りの世界(二) おっかなくて・・・ ―小国町舟渡 塚原名右ヱ門さん(上)― |
武田 正 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介(21) | 武田 正 |
昔話絵本の世界 (2) 本当はシビアな「三びきのこぶた」のお話 |
川越 ゆり | |
民話講座(二十一)行け、さやさや | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(21) 行け、さやさや |
昔話の一つに「なら梨採り」がある。病気の母が、なら山の梨を食べたいというので、まず
太郎が出かけ、化物(あるいは山姥)に呑まれてしまう。次に次郎が出かけ、同じように呑ま
れてしまう。 そこからが、地域差とか時代差の現れるところかもしれない。私が小国町叶水の、さらにも う一つ向うの、大石沢というところで聞くことのできた話では、まっすぐの道を行くと、大牛が 寝そべっているが、三郎がドンと地面を踏むと、目をさまして林の中にのそりとはいってく。 ところが中部地方では、道が三つに分かれていて、まん中の道に生えている笹だけが、「行け さやさや」と、鳴っているので、その道を行くと、白髭のじいさん(実は神さま)が立ってい て、刀を一本いただく。 しばらく行くと川があり、「行け さらさら」と流れているので、渡ると大きな梨の木がたく さんの実をつけている。それをハケゴ(篭)につめていると、化物が現れ、一呑みにしようとす るが、白髭のじいさんからもらった刀で、化物の腹を切りさくと、兄の太郎も次郎も生きている ので、三人で帰り、なら梨を母に食べさせると、母の病気もよくなったという。 民話は聞き手の年齢、知的理解度をよく考えて、語りという方法で伝承され、その時代・地域 性が反映しているといえよう。 |
民話第22号(2008年7月10日発行)の内容 | ||
白い馬と黒い馬 ―馬頭琴をめぐる二つの民話 | 横田 和子 |
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ラジオ、ローレライ、すばる ~ 語りの間主観性 ~ | 滝澤 真毅 |
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<翻刻・再録>昔話・語りの世界(二) おっかなくて・・・ ―小国町舟渡 塚原名右ヱ門さん(下)― |
武田 正 |
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シリーズ 掲載 |
昔話絵本の世界 (3) 『だいくとおにろく』 |
川越 ゆり |
民話講座(二十二)桑原桑原 | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(22) 桑原桑原 |
空間の放電現象なのだが、その恐ろしさから雷神信仰は昔から伝承されてきた。天皇の命令で
雷を捉えてきた話が『古事記』に記されているところを見ても、雷神信仰は自然信仰の代表の一
つであるのは間違いない。 その雷の恐ろしさをさけるには、蚊帳を吊り、「桑原桑原」と唱えればよいと、子どもの頃に 教えられたことを思い出す。雷が桑原家の井戸に落ちて、助けられたことから、以後、桑原家に は決して落ちないと約束したので、雷が鳴ったら、「桑原桑原」と唱えるとよいのだというのだ ったが、次のような話を、かの有名な久留島武彦さんから聞いたことがあると、長井市五十川の 大道寺重栄翁から聞いたことがある。 中国のあるところにチョウランという女の子があり、夢の中で、雷神の嫁になって、死なねば ならないと知った。ある日、大きな雷がゴロゴロとなり、「あの雷の嫁になるのだ」と、チョウ ランは雨の中を外へ走り出た。雷が落ちて、気絶したチョウランはそこに倒れたが、雨水が口に 流れ込んで、生き返った。それは桑畑の中だったので、「桑原桑原」と言うようになったという。 久留島はそういった話を持って、全国を歩きまわり、子どもの文化に貢献した。現在も久留島 の意志をついで、久留島賞が設定され、山形県からは須藤克三先生などが受賞している。 |
民話第23号(2008年12月25日発行)の内容 | ||
民話と方言 | 小林 隆 |
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民話アーカイブの作成 | 依田 平 |
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<翻刻・再録>昔話・語りの世界(三) お婆の手ん箱 出羽三山修験宿の語り -西川町大井沢中村 阿部キヌオさん(上)- |
武田 正 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介(22) 『んだんだ弁!おぐのほそ道』 |
武田 正 |
昔話絵本の世界 (4) 『狂言えほん ぶす』 |
川越 ゆり | |
民話講座(二十三)和尚と茶屋のじさま | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(23) 和尚と茶屋のじさま |
むかしのごんだ。村で字が読めるのは和尚と大地主の旦那さまだけだった。そこに寺を廻って
修行する禅宗の坊さまが、茶屋のじさまに、「太陽とは」と問うと、大きな輪を作って見せた。旅
僧は、「そうか、太陽は世界を照らすというのか」と納得した。 次に旅僧は三本指を出して、「三千世界とは」と問うと、茶屋のじさまは、「この団子五文だ」と いうつもりで五本指を出すと、「ははぁ、五戒で世界を保つという意味か」と納得する。 そしたら、旅僧は「四恩とは何か」というつもりで、四本の指を出すと、茶屋のじさまは「四文 にまけろというが、これはまけられない」と、アカンベェをする。旅僧は「四恩とは目の下にあ り」ということかと感心する。 この寺の和尚は、寺の前の茶屋のじさまにさえも、こんなすばらしいことを、きちんと教えて いるのか、これではこの寺の和尚と一問答をして修行して行こうかと思って、やってきたが、ま だまだ修行が足りない。もっと修行をしてから来ることにしようと、そのまま戻って行ったという 話である。 寺の和尚がしばしば小僧と問答して破れるという、小僧のとんち話は多く語られているが、茶 屋のじさまに負けた話は珍しい。旅僧の深読みを材料にしたところにおもしろさが漂っている。 |
民話第24号(2009年3月15日発行)の内容 | ||
とんと昔を語り継ぐ ききみみの会言 |
井上 幸弘 |
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「語り」のプロセスとして民話を考える | 土居 洋平 |
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<翻刻・再録>昔話・語りの世界(三) お婆の手ん箱 出羽三山修験宿の語り -西川町大井沢中村 阿部キヌオさん(下)- |
武田 正 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介 (23) 『青森の「繁次郎ばなし」』 |
武田 正 |
昔話絵本の世界 (5) 『ついでにペロリ』 |
川越 ゆり | |
民話講座 (二十四) 笑話の成立 | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(24) 笑話の成立 |
室町時代というのは、私にとって大変興味がある。嘉吉の乱で三分の一、応仁の乱で三分の二が
焼けてしまい、足利氏の勢力が弱まり、代りに町人階級が文化にまで手を伸ばすようになった。
また地方都市が発達し、地方の豪族と手を結んだ武士が、各地に城を築いた。城の近くに住む町人
は、百姓を馬鹿にして、「百姓ともぐらは土を見て暮らせばよい」と皮肉り、無知で力を持たぬ、
城下町から遠く離れた田舎の百姓を笑った。それが「笑話」の起こりだと、柳田國男先生のお弟子
さん、関敬吾先生は、笑話の成立として論じておられる。 時代を同じくして、天下をねらう戦国時代が始まる。戦国時代の英雄豪傑はいざ知らず、兵卒共 が戦いのないときに語り合った世間話は、江戸時代の初期に本になって残されているが、『昨日は 今日の物語』には、こんな話がのっている。 新しい職を求めている男が、雇ってくれそうな主人の前に出て、職をさがしているという。そこ で主人は「今までどこに働いていたのか」と聞くと、男は、こういう時には立派な言葉遣いをしな ければならぬと、「お」をつけて、「おならやです」といったという。奈良漬屋に奉公したことがあ るのに、「お」をつけたので、主人も吹き出してしまったという。 |
民話第25号(2009年7月10日発行)の内容 | ||
おはなし会活動の中の民話 | おはなし会きらきら・代表 長谷部 恵美子 |
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夜中のとむらい | 橋本 美香 |
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<翻刻・再録>昔話・語りの世界(四) そーれ物語そーろう ―真室川町安楽城 佐藤陸三さん (上) ― |
武田 正 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介 (24) 復刻版『老媼夜譚』 |
武田 正 |
昔話絵本の世界 (6) 『にんじんさんがあかいわけ』 |
川越 ゆり | |
民話講座(二十五) 昔話の伝承と伝播 | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(25) 昔話の伝承と伝播 |
昔話は文化人の創作であろうと言ったのは、世界の昔話研究の最高峰とされた、スイスの故マック
ス・リュティであったが、囲炉裏端で繰り返し語られているうちに、すばらしい「語り」になったの
に違いないと、私は思っている。祖父母、特に祖母が孫を相手に語るもののうち、フィクションの
語りが昔話で、目に見えるモノの説明の物語が伝説で、それはノンフィクションの話と言ってよい
だろう。だから、昔話は繰り返し語られる歴史の中で、少しずつ一種のリズムが生まれ、そのリズムが
聞き手の子どもの中に入り込んで、きっちりとした記憶となって残ることになるのだろう。だから、
祖母から孫に伝えられる「伝承」はきっちり伝えられることになるのだろう。 室町時代ごろから、日本文化の中心であった京都・奈良・大阪から地方の領主が各地に城を作るようになった。それと共に種々の芸能が生まれてきて、特に笑話が生まれ、大いに喜ばれた。それに伴って、今までの昔話を「笑い」に包んで語るようになった。どのように「笑話」になったかの研究は、必ずしも現在すすんでいるとは言えない。その前に各地の昔話をきちんと記録する必要があり、その最上地方の昔話が『新庄・最上の昔話』(新庄市民話の会)として一冊になって出版されたのは、うれしいことである。 |
民話第26号(2009年12月15日発行)の内容 | ||
民話と地域づくり 新しい試みに向けて |
菊地 和博 | |
本年度公開講座のアンケートにお答えして | 佐藤 晃 | |
<翻刻・再録>昔話・語りの世界(四) そーれ物語そーろう ―真室川町安楽城 佐藤陸三さん (下) ― |
武田 正 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介 (25) 『語りの回廊―聴き耳の五十年―』 |
武田 正 |
昔話絵本の世界 (7) 『ちび三郎と魔女』 |
川越 ゆり | |
民話講座 (二十六) 民話はフリークスを活躍させる | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(26) 民話はフリークスを活躍させる |
フリークスとは異形の者をいう。世の中を逆転させることだってある。戦国時代に日本に入ってきた切支丹は牛を殺して脂をとり、それでローソクを作り、その肉を食べることから、日本人の血は赤いのに、切支丹の連中の血は青いものであったと、人々のあいだで信じられたこともあったということである。しかし、江戸二七〇年間、こっそりキリスト教を信じ続けた長崎県の五島列島の例もあり、織田信長や豊臣秀吉の初期の時代には、切支丹大名といわれる大名が、九州に多く生まれ、切支丹が禁教になってから、フィリピンに渡って一生を終えた大名もおり、抵抗した人たちもあった。 そういう目で見ると、民話にはフリークスが大活躍する。<片ぴら子>は鬼と結婚して体の半分は鬼、半分は人間として生まれた。<一寸法師>は御伽草子に登場するが、山形などでは一寸(三センチ)の半分の五分次郎というのが鬼たちを退治する話もある。 そういったフリークスを並べてみると、聞いている幼児はいろいろな幻想を抱いて、民話を楽しむことになる。産女・火男(ひょっとこ)・河童・天狗はもちろん鬼もフリークスの代表といえようが、山姥は日本人の考え出したフリークスのそれで、民話の主役になっている。 |
民話第27号(2010年3月15日発行)の内容 | ||
アイルランドで妖精の物語を聞く | 柗村 裕子 | |
「び~ん び~ん びんとこしょ」 | 河合 規仁 | |
<翻刻・再録>昔話・語りの世界(五) 峠の子守唄 ―飯豊町中津川 井上元一さん、高橋うんさん(上) ― |
武田 正 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介 (26) 小田嶋利江編 『南三陸入谷の伝承 山内郁翁のむかしかたり』 |
武田 正 |
昔話絵本の世界 (8) 『えんまさまのしっぱい』 |
川越 ゆり | |
民話講座 (二十七) 妖怪ばなし | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(27) 妖怪ばなし |
子どもたちは「妖怪ばなし」が好きである。妖怪といえば、きまって〈鬼〉ということになるが、鬼は中国から伝わってきた妖怪で、死者の霊魂が鬼になると中国ではいっている。私は同じ妖怪でも日本に生まれた〈山姥〉が好ましいように思うが、それはいかにも日本人のやさしさを持っているからである。 「牛方と山姥」という怖い山姥の話があって、牛方が海岸端から干魚を牛の背に積んで、峠までやってくると、その干魚を一匹くれといって、次々と食べた上に、牛まで食われてしまう。牛方が川を渡って、山の中に一軒だけある家に行くと、その家は実は山姥の家であったという。 やがて戻ってきた山姥は甘酒を鍋で温めようとして、居眠りしたのを天井で見ていた牛方は、屋根の萱を一本引き抜いて、甘酒を吸って飲んでしまう。目を覚ました山姥は、「火の神様が飲んでしまったのでは仕方がない」と木の唐戸(箱)に入って、大きな寝息を立てる。牛方は天井から降りてきて、重い大きな石を唐戸の蓋に乗せ、キリで孔をあけて、煮え湯を流し込んで山姥を殺していまう。 ところが、秋田にある山姥話では、出産の手助けをしてくれる老婆に、いくら使っても減らない織物をくれて、村を豊にしてくれたという。そんな一面もあるのが日本の山姥である。日本人の作った山姥には、そんなやさしい一面もあるのは、ゆかしいことである。 |
民話第28号(2010年7月10日発行)の内容 | ||
子どもが金のリンゴを手にするとき | 多賀 京子 | |
民話の妖精に託すアイルランドの魂 | 阿部 裕美 | |
<翻刻・再録>昔話・語りの世界(五) 峠の子守唄 ―飯豊町中津川 井上元一さん、高橋うんさん(下) ― |
武田 正 |
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シリーズ 掲載 |
昔話絵本の世界 (9) 『妖精の丘が燃えている』 |
川越 ゆり |
やまがた民話資料紹介 | 今回号はお休みさせて いただきます。 |
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民話講座 | 今回号はお休みさせて いただきます。 |
民話第29号(2010年12月20日発行)の内容 | ||
民話を学ぶ ―東根の民話伝承の考察― |
滝口 国也 | |
民話研究センター設立から十年を迎えて | 佐藤 晃 | |
≪翻刻・再録≫昔話・語りの世界(六) 四百ぶらりん 瞽女宿の昔語り ―米沢市大白布 遠藤たけのさん(上) ― |
武田 正 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介 (27) 田川民話の会編 『田川の昔話 先祖の心を子どもたちに』 |
武田 正 |
昔話絵本の世界 (10) 公開講座の補足 |
川越 ゆり | |
民話講座 (二十八) 異界 | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(28) 異界 |
民話は大きく二つの世界に分けられる。昔話と伝説である。あえて言ってしまえば、昔話はフィクションだから、聞く子どもたちはいろいろな自分勝手な想像ができる。子どもたちの文学的想像力を要請する力を持つ物語と言ってもよいだろう。それに対して伝説はノンフィクションと言ってよいだろう。あの地蔵さまは、こんなことで、村の境に建立されたのだというように、目に見えるものの一種の説明物語とも言えよう。聞く子どもたちの幻想をふくらますことが多い。 娘さんのところに、人間に化けて毎晩やってくる話は「異類婚姻譚」として昔話に多く語れる。蛇が男に化けて娘のところに毎晩やってくる話は、『古事記』にすでに書かているが、猿や蛙、犬、馬もあり、鬼や木霊まであるが、男のところへ女に化けてやってくる話はもっと多い。ご存知の異類女房譚では何と言っても「鶴の恩返し」で、全国的にあるが、やがて人間と結婚できないので、鶴の世界に戻っていく。その鶴の世界がここでいう<異界>である。 『古事記』の有名な夫婦神であるイザナギとイザナミの話がある。イザナギが黄泉国に女神イザナミを訪問すると、「既に黄泉の食べ物を食べてしまった」といわれる。死の世界の食べ物を口にすると、現実に戻れなくなるというわけである。 この冥界(黄泉国)と現実界の中間にあるのが<異界>で、異界へは行ったり来たりできる。その時の事件が昔話のおもしろさである。 |
民話第30号(2011年3月23日発行)の内容 | ||
「聞く」民話「見る」民話 ―切り絵を映して― |
遠藤 文子 | |
<翻刻・再録>昔話・語りの世界(六) 四百ぶらりん 瞽女宿の昔語り ―米沢市大白布 遠藤たけのさん(下) ― |
武田 正 |
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【彙報】民話研究センター公開講座の十年 | ||
シリーズ 掲載 |
昔話絵本の世界 (11) 『悪魔もこわがるがみがみ女房の話』 |
川越 ゆり |
民話講座(二十九) 語りの季節到来 | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(29) 語りの季節到来 |
旧暦九月九日、十九日、二十九日の三日間をミクニチといっているのは、東北地方だけなのだろうか。この日には餅を搗いて食べることになっている。その最後の日である旧暦二十九日に搗く餅は、その年の新米で搗くことになっていて、特においしいこともあって、「刈り上げの餅」と呼び、農家だけでなく町人の家でも搗くようになった上、「橋の下の乞食も食べるものだ」といっている。 この刈り上げの餅は季節の大きな変わり目で、この日から田の仕事はなくなり、田から夕方は早く帰ってくるようになる。夕食をすますと、茶を飲み、家族みんなが囲炉裏端に集まって、暖をとりながら藁仕事をする。婆さまの民話語りが出る季節の到来である。 子どもたちも婆さまの民話語りを聞いてから、寝床に入るが、婆さまは子ども一人ひとりにミカンなどを配って、もう一つ子どもたちのうしろへミカンを差し出す。囲炉裏の火の届かない隅にいて、婆さまの語りを聞いている〈夜ぶすま〉という妖怪へのミカンだから、決してうしろを振り向くなと、教えられていたのである。 子どもたちが眠ってからも大人たちの藁仕事が続き、さつまいもやウドンなどの夜食が出て、ひと風呂浴びてから大人たちも休む。朝の三時には父が起き出して、近くの山に芝刈りに行く。子どもたちは民話の夢を見ていることだろう。 |
民話第31号(2011年7月25日発行)の内容 | ||
戦場で語られた昔話 (『大地に刻みたい五人の証言』ニューギニアの戦争より) |
渡部 豊子 | |
伝え聞いたもの、伝えたもの | 熊谷 義隆 | |
<翻刻・再録>昔話・語りの世界(七) 通夜の語り部 ―秋田市黒川 古谷長之助さん(上) ― |
武田 正 |
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【彙報】民話研究センター公開講座の十年 | ||
シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介(28) 山路愛子編著 『むがぁし昔 あったけど 夕鶴の里で語った百話』 |
佐藤 晃 |
昔話絵本の世界 (12) 『グリムの昔話1』 |
川越 ゆり | |
民話講座 (三十) 子どもの十年は生涯を | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(30) 子どもの十年は生涯を |
昔話を祖母にねだって聞くのは、三、四歳から十三、四歳の十年であった。とにかくおもしろくて、ぴったりその昔話が自分の体に重なるまで、毎晩、囲炉裏端で、「もう一つ語れ」と、ねだったものであった。 たまたまヨーロッパの心理学者の本を読んでいたら、おもしろいことが書いてあった。「子どもは十歳までの生活が一生を基礎づける。年老いてからの十倍以上の価値がある」と、その本には書いてあった。 初めて鬼に出会ったり、河童に出会ったり、山姥に出会って、見たこともない妖怪の住む異界がどうもあるらしいことを知る。恐ろしい鬼が、桃太郎にやられる場面の痛快さは忘れられない。そうした昔話を通して、聞く子どもたちは、こころの世界を広げたのである。始めは異界の存在などについて考えてみたことのない子どもたちは、稲荷社の「狐」や時には狸、蛇などが、古くなると人に化けて、毎晩、娘のところにやってくるという話に夢中になるが、たまたま登場する「鬼」や「河童」、それに日本独自の妖怪たる「山姥」の話を聞きながら、見たこともない、そうした妖怪の住む世界、すなわち「異界」の話のおもしろさに魅せられて、そんな異界という世界があることを信ずるようになる。このように、子どもたちは、目に見える世界から、その裏にある、もっともっと大きい世界の存在に気付き、世界が広がるのが、昔話を好む十年の間なのである。 |
民話第32号(2012年1月31日発行)の内容 | ||
大地震、大津波を語り継ぐために -「みやぎ民話の学校」を開く- |
小野 和子 | |
川崎洋と桃太郎咄 | 勝倉 壽一 | |
<翻刻・再録>昔話・語りの世界(七) 通夜の語り部 ―秋田市黒川 古谷長之助さん(下) ― |
武田 正 |
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シリーズ 掲載 |
やまがた民話資料紹介(29) 渡部豊子編 『大地に刻みたい五人の証言~ひとりひとりの戦い、そして終戦~』 |
佐藤 晃 |
昔話絵本の世界 (13) 『妖怪横丁』 |
川越 ゆり | |
民話講座 (三十一) さるかに合戦 | 武田 正 (下記参照) |
民話講座(31) さるかに合戦 |
八百から千話もある昔話(民話)の中での傑作の一つに「さるかに合戦」がある。登場するのは、猿と蟹は当然であるが、小蟹、栗、蜂、布団針、それに糞まで〈ぺたり、ぺたり〉とやってくるし、最後には天井から臼が落ちてきて、猿がやっつけられる。それらの登場するものは、みんなちゃんとした役割を持っていて、無駄なものは一つもない。 猿が「おお、さむい」と囲炉裏をほげると、栗がパッとはじける。あわてて台所で洗おうとすると、桶のかげから蜂が飛んできて猿を刺し、水の中にひそんでいた小蟹たちが猿の指をハサミで切る。 「これはたまらん」と、布団に入った猿の背中に布団針が刺さる。あわてた猿は、蟹の家から逃げ出そうと、出口まで行くと、そこには糞が待っており、それに滑った猿が転んだとたんに、天井に待ち構えていた臼がごろごろと落ちてきて、猿をやっつける。とにかく登場するものはそれぞれに一つずつの役割を持って、猿をやっつけるのである。 かつて、高校生の夏の宿題に、登場するものを全部使って別の話を作って来いと言ったら、これを超す作品は出来なかった。こんな「さるかに合戦」は、語り手の婆さまと聞き手の孫が、繰り返し考えて完成したのではないかと言われている。 |
民話第33号(2012年7月20日発行)の内容 | ||
昔話を語るのはお婆ちゃんの仕事 -タンザニアで聞いた昔話- |
柗村 裕子 | |
子どもの育ちと民話 | 永盛 善博 | |
<翻刻・再録>昔話・語りの世界(八) 木流し衆の語り ―米沢市簗沢 宮下昇さん(上)― |
武田 正 | |
シリーズ 掲載 |
昔話絵本の世界 (14) 「昔ばなし大学創立二十周年記念秋田大会」レポート |
川越 ゆり |
民話講座 (三十二) 屁ったれ嫁 | 武田 正 (下記参照) |
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やまがた民話資料紹介 | 今回号はお休みさせて いただきます。 |
民話講座(32) 屁ったれ嫁 |
民話に笑い話が登場したのは、どうやら室町時代からだということは、以前にも述べたが、それまでは「神話」から始まり、仏教説話たる『今昔物語』が出来上がると、急に民話の数が豊かになり、それに笑話が加わって、さらに豊かになったといえる。 その一つに「屁ったれ嫁」の話が生まれ、にぎやかになった。 かわいい娘が生まれ、年ごろになってよく働き、嫁に行くことになったが、母から「向こうの家に行ったら、屁だけはするもんでない」と教えられた。ところが日に日に顔が青ざめてくるので、姑は心配して理由を尋ねると、「何だ、屁など誰でもするからやりなされ」と言われ、「では、姑さまは炉縁に、舅さまは大きな火鉢につかまっていて下さい」と言ってから屁をひったら、それは大変、二人とも神棚の上まで飛ばされ、「屁の口止めろ」と言うが、何ともならず、「こんな嫁は実家に帰せ」ということになった。 嫁入りに持ってきた荷物を背負って帰る途中、山の上で梨を石でとろうと反物屋が石を投げるが、梨の木に届かない。「おらなら、屁一つで梨を落としてやる」と尻をまくって放屁すると、梨がたくさん落ちてきた。また、酒田の港に入った舟が、風のないために動けずにいるので、屁で港から出してやった。それで屁が出たいときには屋敷の向こうに作った屁屋(部屋)に行ってすることにして、一生安楽に暮らしたという。 結末は「部屋の成り立ち」となるものの他に、サブタイプとして屁ったれ嫁は<おなら>といって、屁のことをそういうようになったというのもある。 |
民話第34号(2013年2月28日発行)の内容 | ||
伝承の語り手・ミヨキさんを語り継ぐ -昔話集『ミヨキさんのざっと昔』へんしゅう余話- |
野上千恵子 | |
《共同開催》平成二十四年度公開講座 「民話語りの座を囲む」/「東北民話祭り in 山寺」 |
佐藤 晃 | |
《翻刻・再録》昔話・語りの世界(八) 木流し衆の語り ―米沢市簗沢 宮下昇さん(下)― |
武田 正 |
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シリーズ 掲載 |
日本・世界の昔話 (15) 『ミヨキイさんのざっと昔』 |
川越 ゆり |
民話講座 (三十三) なら梨とり |
(下記参照) |
民話講座(33) なら梨とり |
好きな民話に「なら梨とり」がある。 大筋はこうである。 病気で寝ている母が、なら山の梨を食べたいと言うので、太郎が出かける。すると年寄りの神さまが教えてくれる。「行くなさやさやと笹の葉が鳴ったら戻れ」と言うが、母のことを思い、その道を行くと、また神さまがあり、「道に牛が眠っているが、起きて林の中に行ったら行くがよい」と言うが、牛は動かない。牛を跨いで行くと、また神さまがおリ、「滝が行くなざんざんと流れていたら戻れ」というが、母のことを思って渡って、なら山に着いて、梨をとっていると妖怪が、「いい飯が来た」とゲロンと呑み込んでしまう。次の次郎も妖怪に呑まれる。三番目の三郎には「行けさやさや」、牛も林の中に行き、神さまから刀をもらって、妖怪を殺し、梨をもいで太郎・次郎を助け、母も病気が治る。 話の中に、「異界」、「神」、そして「妖怪」までもが登場し、みごとに「幸運」にめぐまれるというものである。 |
民話第35号(2013年7月31日発行)の内容 | ||
石川啄木と絵本『サルと人と森』 | 船越 榮 | |
「三枚のお札」を楽しむ | 菊地 とく | |
《翻刻・再録》昔話・語りの世界(九) 湖底の村の語り 飯豊町小坂 男鹿てつのさん(上) |
武田 正 |
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シリーズ 掲載 |
日本・世界の昔話 (16) 現代の妖怪たち |
川越 ゆり |
民話第36号(2014年3月27日発行)の内容 | |
武田先生の御逝去を悼む | 大友義助 |
残された『ガリ版百冊』の重み | 石井正己 |
《再録》武田正先生「民話講座」 *『民話』に連載された講座一~三十三から抄録しました 民話講座(九)「根あない話は語るな」 民話講座(二十九)「語りの季節到来」 民話講座(三十)「子どもの十年は生涯を」 民話講座(三十一)「さるかに合戦」 民話講座(三十三)「なら梨とり」 |
武田 正 |
武田正先生著書目録 |
民話第37号(2014年8月30日発行)の内容 | ||
翻訳作品の昔話におけるパロディのおもしろさ | 横山和江 | |
テキヤの女 | 高橋まゆみ | |
《翻刻・再録》昔話・語りの世界(九) 湖底の村の語り 飯豊町小坂 男鹿てつのさん(下) |
武田 正 |
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シリーズ 掲載 |
日本・世界の昔話 (17) 猫の登場する昔話 |
川越 ゆり |
武田正先生著書目録・補遺 |
民話第38号(2015年3月20日発行)の内容 | ||
昔話と伝説の河童たち | 長南 一美 | |
オペラと民話 あれこれ | 宮下 通 | |
《翻刻・再録》昔話・語りの世界(十) 屁ったれ嫁こ ある宿場の語り 南陽市川樋 安部惣七さん(上) |
武田 正 |
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シリーズ 掲載 |
日本・世界の昔話 (18) 昔話の創作絵本・幼年童話への影響 |
川越 ゆり |
民話第39号(2015年7月31日発行)の内容 | ||
交流のつどい「やまがた民話の会協議会」交流会報告 | 佐藤 玄祐 | |
スリランカの絵本作家シビルさん | 齋藤 由美子 | |
《翻刻・再録》昔話・語りの世界(十) 屁ったれ嫁こ ある宿場の語り 南陽市川樋 安部惣七さん(下) |
武田 正 |
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シリーズ 掲載 |
日本・世界の昔話 (19) 『そばがらじさまとまめじさま』 |
川越 ゆり |
民話第40号(2016年3月28日発行)の内容 | ||
県内民話の会の現況に関するアンケートの結果報告 | 佐藤 晃 | |
《翻刻・再録》昔話・語りの世界(11) 狸の祭文-寺守の語り 白鷹町 青木さんのこと(上) |
武田 正 |
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シリーズ 掲載 |
日本・世界の昔話 (20) 子どもに土地言葉の民話をどう伝えるか |
川越 ゆり |
民話第41号(2016年9月2日発行)の内容 | ||
佐藤陸三さんの民話 | 杉浦 邦子 | |
「語り」への憧れ | 石井 美和 | |
《翻刻・再録》昔話・語りの世界(11) 狸の祭文-寺守の語り 白鷹町 青木さんのこと(下) |
武田 正 |
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シリーズ 掲載 |
日本・世界の昔話 (21) 『こめんぶくあわんぶく』 |
川越 ゆり |
民話第42号(2017年3月28日発行)の内容 | ||
《報告》平成二十八年度東北文教大学 民話研究センター公開講座 | 佐藤 晃 | |
「子どもと民話語りー山形の民話伝承活動ー」 | 佐藤 晃 | |
シリーズ 掲載 |
日本・世界の昔話 (22) なぜ子どもは昔話が好きなのか? |
川越 ゆり |
民話第43号(2017年9月15日発行)の内容 | ||
絵本読み屋 づかちゃんのお話会 | 石塚 洋子 | |
民話で「上を向いて歩こう」 | 熊谷 義隆 | |
《翻刻・再録》昔話・語りの世界(12) じぶごぶ兄弟 南陽市赤湯椚塚 佐藤宇之助さん(上) |
武田 正 |
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シリーズ 掲載 |
日本・世界の昔話 (23) 『ふしぎな銀の木』 |
川越 ゆり |
民話第44号(2018年3月28日発行)の内容 | ||
《報告》平成二十九年度東北文教大学 民話研究センター公開講座 | 佐藤 晃 | |
「山形の民話伝承活動ー伝える営み、語る愉しみー」 | 佐藤 晃 | |
《翻刻・再録》昔話・語りの世界(12) じぶごぶ兄弟 南陽市赤湯椚塚 佐藤宇之助さん(下) |
武田 正 |
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シリーズ 掲載 |
日本・世界の昔話 (24) 『ねずみのすもうとり』 |
川越 ゆり |
民話第45号(2018年9月15日発行)の内容 | ||
大人も絵本と民話っていいずね~ | 武田 和子 | |
昔から気付いたむかしの名作 | 郷津 幸男 | |
《翻刻・再録》昔話・語りの世界(13) 見るなの座敷(上) 飯豊町中津川 山口 ふみさん、後藤 とよさん |
武田 正 |
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シリーズ 掲載 |
日本・世界の昔話 (25) 『世界のなぞかけ昔話① どうしてわかる?』 |
川越 ゆり |
民話第46号(2019年3月28日発行)の内容 | ||||||||||||||
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佐藤 晃 | |||||||||||||
《翻刻・再録》昔話・語りの世界(13) 見るなの座敷(下) 飯豊町中津川 山口 ふみさん、後藤 とよさん |
武田 正 |
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シリーズ 掲載 |
日本・世界の昔話 (26) 『おはなしのろうそく32』 |
川越 ゆり |
民話第47号(2019年9月発行)の内容 | ||
子どもたちに昔話を | 伊藤 明美 |
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《翻刻・再録》武田正「昔話・語りの世界」から | 佐藤 晃 |
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日常と非日常の民話 | 佐藤 亜実 |
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シリーズ 掲載 |
日本・世界の昔話 (27) 『かちかちやま』 |
川越 ゆり |
民話第48号(2020年9月発行)の内容 | ||
「語り、繋いでいこう!」 | 山川 唯美 |
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〔報告〕【共同開催】第20回むらやま昔語りのつどい 2019年度民話研究センター公開講座 「現代の民話を考える ー〝語り継ぐこと″と〝語ることの豊かさ″と ー 」 |
佐藤 晃 |
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シリーズ 掲載 |
日本・世界の昔話 (28) 『マーシャと白い鳥』 |
川越 ゆり |
民話第49号(2021年9月発行)の内容 | ||
現代の語りの場としての「オンライン語りの会」 | 井上 幸弘 |
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くらしの民俗学・「ゆわゆわ」考 | 菊地 和博 |
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《民話・民俗資料紹介》 『南山形風土記』第1集、第2集 |
佐藤 晃 |
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シリーズ 掲載 |
日本・世界の昔話 (29) 「沼神の手紙」 (『日本の昔話3 ももたろう』) |
川越 ゆり |
民話第50号(2022年8月発行)の内容 | ||
なぜ いま〝民話の英語語り″なのか? | 阿部 一 |
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《民話・民俗資料紹介》 『南山形風土記』第1集、第2集(その2) キツネの民話 |
佐藤 晃 |
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シリーズ 掲載 |
日本・世界の昔話 (30) 「ガラスの山のおひめさま」 (『太陽の東 月の西』) |
川越 ゆり |