34 大熊と雄牛むがすむがす、非常に牛ばかわいがる人がいて、ほしてほこの村には、秋の祭り、春の祭りには必ず牛の角の押しくらがあった。ほして、親父のつくった牛ていうものは、これは骨格はよし、四角四面でまず角はよし、たまげるような牛だった。なぜこういう風に立派になったがていうど、貧乏はしてでも、山さ行ってマムシなのせめで来っど、はいつを粉にして、牛の飼料にして食せる。魚の骨もこんがり焼いで、粉にして食せる。んだから骨格がまず違った。ほれがらドブロクの粕も飲ませて、澄み酒で体拭いでける。ほしてほのフケが非常に体を消耗させるんで、フケていうの、ほとんどなかった。いつでも、角押していうど、優勝して賞品もらうがった。 て、牛も年令十五、六才になった頃、村一になって、毎日つれて来たら、マセ棒はね越えで飛び出した。 「あれ、どこへ行くべ」 ていうわけで、ほれ、どんどん、どんどん山の方さ走って行ってしまった。不思議なもんだなぁて、いだげんども、かわいい牛のごんだから、追っかけて行ってみた。ほうしたら、山へ山へと牛が行って、結局、野荒しする大熊いだった。その大熊と戦って、大熊もその辺の主ど言っだ者、牛もまず横綱格だった。勝負がつかなくて、延々と戦って、二匹とも、こと切れではぁ、死んでしまった。 ほこさ村人が、足の跡たよって行ってみだれば、 「ああ、そうか。あの野荒しする大熊退治して呉だか」 というわけで、牛の石碑立てんべというわけで、牛の石碑たでだ。ところが、 「こだぇ大きい熊、熊も祟っどなんねぇ」 ていうわけで、おクマンサマ(熊野神社)ていうの建てて、二つの神社建ててけだったて。どんぴんからりん、すっからりん。 |
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