6 言葉の表と裏

 昔あったけど。昔は川の内の庄屋て言えばこの近在の庄屋頭を勤めさへらった 大物庄屋だったふうだちゃや。
 或時、お代官が廻(ま)て来て、ここの家さ宿とたけど。ほして庄屋どこ呼ばて言う にゃ、「民百姓は飢饉(けがち)の時は雑炊どやら食うそうだが、一どその雑炊を食べてみだ いものだ。今日、それを馳走してもらえまいか」と、所望さったけど。
 庄屋は、「何のそれしき、ぞうさのないご用」ど承知して引ぎ下たものの、よっ く考えてみっと、なんぼお代官の言葉だにしても、その通り解釈していいものか どうか、頭が痛ぐなたけど。
 民百姓ど同じものと仰有っても、干葉や藁餅など入(え)っだ奢らなえ本当の百姓達 の糧(かで)を進ぜて不調法でなえがどうか。本物じゃ食べづけなえ人では喉も通るまい じゅ。
 雑炊は雑炊でも美味(んま)え食味(あじ)にこさえでお勧めした方がえなんなえが。 んまぐ...なくて ししやまし.....(持て余す)されるよか、舌鼓でも打てもらた方が、こっちもお褒めにあずかっかもしんなえ。何しても上役の喜びをかった方が得だろ。とにか く、言葉にも裏と表もあるもんだて言うさげな。
 庄屋は、先ず精米から吟味して白搗飯(しろづきまま)を炊かせ、それさ春鱒ば掴めらせで入(え)っだ雑炊ださげ、こげた佳(え)い味あたもんでなぇ。なんぼお代官の身分でも、ほう口さ入るもんでもあんめえよ。
 んだて...、お城の周辺にゃ鱒ののぼる川なえさげて、獲りだて料理するじゅ訳に も行がなえべ。てっきり「結構々々」どて、コロコロと喜こばれるもんだど思(も)て、
「えっぺありあんすさげ、 おだち...さっせ」て勧めたけど。
 ほしたらどうだ。「百姓は飢饉(けがち)でも、こうした結構なものば食べでんなが、庄 屋ッ」とばり立腹なさんなで、庄屋まだちちゃこぐなて へっつくばた......(平伏)けど。
 ほれがら、この庄屋まだ庄屋達の席の一番下さ下げらってしまたけど。
 どんぺからんこ なえけど。

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