5 なりもの禁止令
昔あったけど。差首鍋で言っても、まだ戸沢藩にならなえ庄内領に属してた古
い時分のことだべな。松千郎どて言う親分株の人いだったふうだ。
或時、代官さまがらお使いがあって、領主(との)さまの家(ど)さ、ご不幸あったさげ、領内では
なりもの一切断って慎むようにて、厳しいお達しば受げだけど。
松千郎もこれがらなじしっか、土地の顔役達ば集めていろいろ相談かげだどこ
だど。決して落度などあってはなんねえて、繰々も言わっだなださげてな、間違
起さなえようて伝えたけど。
でも、ほの
なりものじゅあ何(なえ)だべとなたれば、誰もはっきり判た者いなえ。俺達こういう時、生臭物ば絶つように、成物でも精進さなんなえのがどて、おべだふり(知ったふり)こぐ者も出て来たけど。皆なほれさつりごまったべちゃ。こごらで成物て言えば、先ず自生桃(ずべえもも)とが、谷地梨とか、山葡萄、ほれさ小梅なども入(へ)んべし、実の成るもんだら何だてだべとなたど。
へば、桃栗三年柿八年の柿もだろ。「柿の木五本、五万石」て言うなで、領主さ
まがら勧めらって植えて何年なるやは。そればもう打た伐んながは、ていう者(な)も
出はたけつけ。
一方、ほんだごど大声立でっと、自分の首が危なえんだぞて、たもど引っぱる者(な)
もいだけど。とにかく、言いづけらった通りに成物はみな絶って間違えないべて
言うなで、村中(むらなか)にはえった成木ば、みななんでも伐り倒すごとしたけど。
中には随分と家の足しになってる樹もあって、
いだましがったろども、やらね
ば後の祟りおっかなえさげて、泣ぐ泣ぐ皆な打った伐ってしまたろ。伐り上げだ
どごで、皆な集て成木供養だて言て一口湿したどこだど。
酒がまて来っど、気持も大きくなてくる。声も大きくなんべし、やがでにゃ歌
も出んべした。だんだん賑がなて、とうど大振舞みでえなたど。
運の悪(わ)り時(づき)じゅあ悪りもんだ。そごさ代官さま領地見廻りに来て、ひょっこら顔出さったけど。
「鳴物を断って慎しめて、あれほどきつぐ言って寄ごしたなに、村中あげてのこ
の騒ぎとはただで済すわけには参らなえ」どて、こっぴどぐごしゃがったどこだ
ど。
んでも、親方初め村の衆達ごとしては、代官さまがらのお達し通りのごとして
だつもりだったべさげ、お小言もらたんでは大当外れじゅんだ。
どてかっぺ(動転)して、ほんとは何でごしゃがれっか訳判らなえまま、
なづきば土さ押っつけ
押っつけして詫っけど。多分狐にでもだまさったみでえだったんだな。
人の話じゅあ聞ぎ違えしなえよに気をつけでな。
えっくさどらんねば、聞きた
だしても不調法でなえ。一ぺん間違たら、この
なりものみでえにおっかなえごと
なる。気つけないどな。 どんぺからんこ なえけど。
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