7 小又の怪力童子昔あったけど。小又さ おっかなえ(大変な)力持ちの童こいでな。昔、新庄さ領米運ぶな、普通の人は半俵にして背負て行たもんだども、この童こじゅあ十三 やそごらで大人凌いで一俵の米を楽々と背負たどこだど。或時(あっづき)、途中の野で雉が えっぺえ 或時、滝上部落(たぎねむら)の力自慢の男 まだ 大体、荷杖じゅあ桐の木など軽木の二又なってる所で作(こさえ)るもんだ。坂道さ来っ ど杖につっぱり、草臥れっと道さ突立ったままでも、背負た荷を杖で受げ支えで 力抜いで休むなで、なるだけ軽こえ工面して たがぐ 滝上の若え者が杖ば借りで其処を出る時は、いかにも軽こく見せでさばいでだ けども、一たん草臥こんで来っと杖つくどころが、重だくて重だくて何時の こめえ 秋田で毎年祭には花角力かがたもんだど。其処(ほご)の一番の名取力士て言えば「赤 禅の三吉山」どて、まだ誰と角力とっても負けだごと無しだったど。祭りば見に 行た六ノ凾、まだ身の程も知らなえで、これさ勝負挑だどこだど。なんぼ力あた たて、大人とまだ子供、本気にならったら潰されるばりだべども、がって(苦に) しない童だもんだ。 赤禅から先ず四股名ば名のれて言わっじょん。そう言わっても、こういう所(ど) さ出て土俵踏むな初めでだったべさげて、別に四股名も持てなえし、考えでさえな がったべや。ふと思いついで、「大江山」て、口がら出まがせ言てしまたどごだど。 さぁ太平山ごとしてはそれ聞いで度胆抜がっでしまった。て言うなは、大江山 とあれば、自分(わあ)よりずっと上格の山神である。これは何があんのじゃないべが、 何た粗相でもあっては大変と、心をかすめると、つい迷いが出てしまった。そこ を破れかぶれの大江山に突かれて土俵を割るという始末。 とっぱづらか さぁ見物人は大騒ぎ、今まで一度たりとも負け知らずだった赤禅に土がついだ んだから拍手が湧くんだか、祝儀(はな)は飛ぶんだか、大変だったけど。六ノ凾持囃さっ てすっかり好い気持でいたべ。 土俵下りでがら勧めらって一風呂浴びて汗流そうとしてっとさ、さっきだの相 手太平山が顔出して、礼儀つぐすどこだけど。 「風呂加減はどげですべ、背中流しあんすか」どて、薄気味悪いくらえ下手に機 嫌うかがうべちゃ。あげぐにゃ、六ノ凾の入ってる風呂桶ばそのまま抱き上げで、 「風呂はこの向き良げすべ、こうした方眺めも良えし、も少しこっちさ寄た方良 げすかな」とか、気を配って大力無双振りを発揮して見せんなで、大江山ごとし ては、 どでかっぺ やがて隙見で風呂がら上るや、這々の態で小又さ逃げ帰って来たけど。夜道か けで一気に走たなで、血の小便出たくらえだったて言うことだ。角力にや勝って も、おっかなえ目にあって おんごと どんぺからんこ なえけど。 あまり天狗なて、お調子さのらんなえもんだな。殊に知らなえ所じゅあ、気つ けないど。 |
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