6 産女の化物昔あったけど。昔ぁな、百姓ヅ者ぁ、米ば作っても自分(わあ)口さなのながなが入れっ とこなくて、大方(あらがた)年貢米で納めなんなえがったど。ほれで飢饉(けがぢ) さでも当るんだらばは、皆死ぬ苦しみばしなんなえもんではな。ほごさ子供(おぼこ)でも生(んま)っでみろちゃ、嬶てば働ぐ手休めねばなんねぇべし、童おがれば食う方だて卑めだもんでなぐなんべし、どなっと、生ってきた子供ば罰(ばちや)かぶても何じがさなんなえ、口減(くちべら)しに間引ぐより仕方ながったべな。長男こどか、姉娘こどか、先に生った者(もん)はどうやら家さおがったべどもな。おじこ、おばこどなっどは、猫仔みでえに藁苞さ入れらって始末さったもんだふうだ。 或所(あっどこ)で貧乏(しかたなぐ)暮しっどさ、子供(おぼこ)生ったなで、苞さ包(つづ)で流す勘定したど。ほさ何も知らなえで、そこの本家の爺さま顔出したけど。訳ば聞いで今日は仏さまの日だ、何がのお引合せがもしんなえ、ほれ始末しんなば止めで、家さ置ぐごとしんだ。若し何としても立つ瀬なぐなたら、そん時ぁ俺が親代りになて面倒みっさげて情 くれっけど。ほんでや、爺ちゃんに拾てもらうがは、どて、ほの子供捨(なげ)なえで家 さ置ぐごとしたけど。 昔(せん)にや、こげたなば「苞こ外れ」て言たもんだ。汝達(にしやだ)も きかなし むずさいごとに、苞こさった子供達まだ年越の晩なっと、この世さ生き残た童 達の賑がな声聞ぎづけて羨(けなり)ぐなてくんだな。霊魂(たまへ)になて娑婆さ出はて来だぐなんなだど。怖(おっか)なえんでなえが、年越に晩飯食てがら厠(かばや)さ大便(ばば)たれ行くど、白い着物着たザンバラ髪の産女(うぶめ)が稲(いな)部屋の隅こあたりがら出はて来て、生れだての嬰子(あかこおぼこ)つん出して、「これ、一寸抱いて呉ろ」て、頼むなだど。 気味わりごどな。んださげてな、年越にゃ遅ぐなてがら厠さ行がなえよう、明 るいうちに行て勘定しておぐこったな。 どんぺからんこ なえけど。 |
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