26 天人女房

 むかし、摂津国に、一平さんという親 孝行な人ぁいて、母に早く別っで、お父 さんが中風(ちゅうしょう)になって動かんねぐなっ たの、そのお父さんを毎日背負って、畑 さでも田さでもつれて行って、敷物持(たが)っ て背負って、そして稼ぐどこを見せ申し て、自分がタバコのときは話かたりした り、肩をもんであげたりして、まずお父 さんを楽しませて、その次の年、日でり で一つも米みのんね年あっかったど。
 そして少しずつ貯(たく)えっだの、お父さん にお粥を煮て上げたり、いろいろして、 お父さんに進ぜたいと思ったげんど、と うとう米なくなって、隣村の長者さ行っ て、
「どうか、お父さんを、こういう風になっ ていたのだけに、米を少しいただいて、 わればりも上げたい」
 と思って願いに行ったところぁ、
「はぁ、あまりええ、あまりええ」
 と、一斗の米と銭といただいて来て、 そして過ぎてるうちに、お父さんが死ん だど。
 お父さんの、まず葬式ばりもええあん ばいにして上げたいもんだと思って考 えっけんど、銭ぁない。米ぁない。何と も仕様なくて、こいつただ埋めたともい らんねがら、おれぁ何とかして奉公でも して、葬式ばりええあんばいにしたいと 思ってまた隣村の長者さ行って、米も銭 も上げないげんども、またお父さんが死 んだもんだほでに、三年でも何年でもえ えから、葬式する金をいただきたいと願 いに行ったば、また米と銭といただいた そうだ。
 それから、ええあんばいに葬式して、 四十九縁もして、隣ほとりの家さ、
「おれぁ奉公に行かんなねから、どうか 家守って呉(く)ろ」
 と、そこさ別れをつげて行って、少し 坂道のとこで、
「一つ、ここで休んで行(い)んかな」
 と思って休んでいたば、なんだか眠気 さして、一眠(ねぶ)りしてかと思って眠(ねぶ)ったと ころが、天井からふさふさと下がってく るものがある。と、いたところが天から 落ちて来たの、六人の女ぁ、ええ着物き て、太鼓に笛に笙など鳴らして来た。
「こんど働きに行くとこだか」
 というけぁ、
「音曲でも聞かせんべ」
 といわっで、うんと楽しく聞いて、 ちょっと目覚ましたら、それ皆いない。
「ええ夢みっだったもんだなぁ」
 と、今度起き返ったところが、着物な どええの着てないげんど、一人、天から降 (お)ちて来た娘とそっくりのいだけど。
「お前はどっから来た」
 というたら、
「おれぁ、天から来たもんだ」
 といった。
「こういう夢見たが、本当に、ほだった か」
「お前はあんまり親孝行したほでに、お らだ行って、なぐさめろと言わっで来た のだ。ほだから、お前は奉公に行くとき、 おれどこ妻にして呉(く)ろ」
 といわっだど。
「いや、天女を妻にするなんて、もった いない。おれはさんね」
「いや、そうではないから、妻にして貰 わねど、おれぁ帰らんね」
 といわっで、
「ほんじゃらば、まず、長者さ行ってそ の話すっど、二人して奉公させて呉れん べがら…」
 と行ったところが、喜んでまず夫婦で 働かせてもらったど。
「何と名付(つ)いっだ」
 というたば、
「おせんと名付いっだ」
 という。いや、働く働く。
「お前、何の仕事を一番好む」
 と。旦那が聞いたところが、
「おれは機織りだ。機織りだら、何でも される」
「んじゃ、機織りして呉(く)ろ。んじゃ、別 な機場さやって呉(く)ろ。機織りするとき、 小屋さでもやって呉(く)ろ」
 そして、機師たてて糸あずけったとこ ろが、
「まずまず、何反ぐらいに織ったらば、 ここのとこ、たくさんだべ」
 と言うたら、
「いや、織られるだけでええ」
「七十反ぐらい織っかな」
 というごんだど。
「いや、そがえいっぱいなの織られっこ ないから」
 と思って、
「お前、見込み次第、織って呉(く)ろ」
 というたところが、
「何ぁええがんべ」
「何でもええ、お前のええ通りに織って 呉ろ」
 というたところぁ、
「南京繻子なていうものか?」
 何でも本当に、見たこともないもの 織って、七十反ばっかし持って来らっ じゃもんだど。
「やれ、今度はまずこんでたくさんだか ら、お前だ、こんで長く一生暮されんべ。 んだから、金をあげっから」
 と、長者で金背負わせて、そして、
「お前だ、帰ってもええから…」
 と帰って、また元来た道端さ休んだと ころぁ、
「今日、お別れだ」
「いゃ、そう言わねで、今迄おれの妻に なるどていたもの、居て呉(く)ろ」
 というたげんども、
「いや、親孝行だから、お前、一生食れ るようにして来いと言わっで、神から降(くだ) さっだのだから、おらだ登って行かんなね」
 と登って行(い)がっだど。
 んだから、親孝行しろど。
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