25 餅の標的(まと)むかし、備後国に土地のええどこの、 広いとこあったそうだ。そしてそこを耕 やしたところが、まず毎年毎年米はとれ て、食うにも多(うか)くて倉を建てなどして、 びっしり米を積んで、なに不自由なく、 それでいろいろなもの買ったり、酒は朝 げから作って飲んだりして、ゼイタクの しほうずしていたそうだ。そして今度、 あるとき、また人に招ばっで、みのりの 秋に奉公人も皆餅を搗いて食ったり、飲 んだりして、ゼイタクしったところが、 その奉公人が一生懸命で餅を搗いて、弓 矢をしたことないから、弓矢してみんべ ど、酒のんだお客と、「あんまりええがん べな」と、餅をいっぱいとらせて、木さ 下げらせたど。若衆は、「いやいや、餅を木さ下げて、餅を矢で なんつぁこりゃ、そげなことしてええも んだべか」 と思ったげんども、主人のことだから、 聞かないでなんなくて、トリモチとって、 みな下げたそうだ。そうすると、片端か らすっど、面白く当っこんだと。そうすっ ど、当ったの、みな白い鳥になって飛ん で行ったど。そしてこんどは、その次の 年から、さっぱり稔らなくなって、段々 にみな食ってしまって、元の通りになっ て難儀して死んだど。 んだから、穀というものは決してお粗 末にしないで。むかしなんざぁ一粒の米 も拾え、糊を落して飲めというぐらい だったから…。 |
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