79 藤の木の精

 百野部落から亀岡への道路を東に行ったところに太い藤の木がある。その昔、伊藤源右ヱ門という豪族の古い屋敷跡である。糸引の後藤伴三郎、船橋の黒田番内と肩をならべた者であったという。その屋敷跡にあったのが、藤の木である。むかしから、もし藤の木に実がみのれば、翌年は凶作だといわれる。古老の談によれば木の実がなればいつも凶作だったという。
 喜右ヱ門さん全盛の時のことであった。同家に一人の女があった。生れは和田と聞いたが、いたってまめまめしく働いた。朝は未明から起きて働らき野良仕事に出てはよく働く。人々は珍らしい女よとほめない者とてなかった。同家の屋敷の隅に山の神の社はあった。そこへ大木の樹があって藤の木はからみついておった。その木の枝は繁茂して一畝ばかりの畑は無収穫であった。主人は、木は畑の日陰だから切らなければならないといっていた。この女は主人に言うよう、神木の事なれば、この侭にせられよと切に忠告して、そのままとなった。ある日の夕刻、この女、この木の下を通ったら、つい見たことのない一人の白髪の老人があらわれて女に近付いて来て、さて言うよう、「お前は珍らしいほど働く感心な女、それでこれをお前に差上げる」と取出した小粒の銀五六枚、そしてこれがただ一枚を残しておけば、また元の通りになるからと、つい見たことのない小粒銀、いく度もおしいただいて、お礼を言った。ふと目の前の老人を見ると、それはかき消すように姿はなくなってしまった。
 正直な彼女はこの小粒銀を持参して、主人夫婦の前にさし出したところ、主人夫婦は「それはお前は正直だから、天からお前へさずけられたのだから、貰っておくがよい」と言われて、女も喜んで大切に所持した。翌日のこと、枝のかかった畑へ行けば枝はいつの間にか向うの方にむいて、日陰にならなかったという。人々は不思議に思った。こうして忠実な女は和田の実家に帰って夫を迎え、二人してよく働いてその家は冨み栄えたといわれる。
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