71 鬼二平妖怪と争う

 露藤村彦左ヱ門さん、文化文政時代に最も全盛時代だった。彦左ヱ門さんは今井五右ヱ門さんの分家である。雇人も数人、百姓もまた大きかった。その頃上浅川から通っているものに二平という男がおった。毎日、下浅川から来て、どんなに遅くとも必ず帰って行く。下浅川へ行くには天王川辺を通らなければならなかった。二平は力自慢で三人力はあると言われ、顔はあくまで黒く筋肉太く常に人に語っていうには、「世の中に恐ろしい者はない、妖怪などに会ってみたいものだ」といった。人呼んで鬼二平といっていた。
 ある年の秋のこと、その夜は曇って雨模様、今にも泣き出しそうだ。急いで帰り支度をした、連夜のこととて、暇乞いをして闇路を歩いて、今しも宝蔵坊にさしかかった。ここは中島への通路で、往時全蔵坊という寺があったとも伝えられている。小高いところになっている中島部落で虫送りの時はこれまで送る周囲は萱野とて昼でも寂しい場所である。二平、今しも全蔵坊に差しかかるとこれはしたり、道の行く手に丈なす大入道はぬくっと立って道を塞いでいる。普通の人なら倒れてしまうぐらいだが、さすが鬼二平といわれるだけ、入道に近づいて行く。
「おのれ、畜生奴、おれを化かすつもりか、よしおれと力くらべしよう」
 と大なす大入道に組みついた。入道もさるもの二平に負けまいと二人上になり下になり争った。人通りもない真夜中誰も来る人はなし。こうして争うこと凡そ半刻、入道もなかなかつよい。しかし二平の力はまさったと見えて入道を組み敷いてしまった。すると二平、拳をふり上げてなぐらんと、「畜生奴、人間を化かす気か、今度の見せしめにこうして呉れん」と、今しも拳でなぐろうとしたら、これは不思議、組み敷いたはずの入道、かき消すごとく姿は見えなくなった。入道を組み敷いておったときには気を張っておったが、今消えてしまうと気の強い二平も寂しくなり、小佐家へも戻らず一散に下浅川の自宅へと帰ってしまった。その翌日から二平は病気になってしまい、次第に重く悪化して枕もあがらぬ大病となった。露藤の彦左ヱ門さん心配して見舞いに行くと、二平は枕を上げて「旦那、そのことばかりは言わないでくれ」と黙して語らず、こうして約半歳ばかり床の人となった。そして手足も細くなり、人呼んで「細すね二平」と呼ばれるようになった。これが原因で遂に死去した。人々は噂して、この怪物の毒気にあてられたのであろうといっていたという。
(露藤)
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