63 狐への土産

 露藤に勘五郎さんという萱(かや)を商売にしているものが居った。地元から萱を買って高畠町屋代村方面に車でつけて売り、帰りは九時・十時となることは珍らしいことでなかった。そして肴など車につけて帰って来るときは、必ず空車に上って持行くのであった。これをよく知る勘五郎さん、狐の肴を別に求めて、そして狐の来たらしい気配がするとその包みを闇の中に投げて、やるものだった。すると狐もいたずらなどすることはなかったという。
 明治時代、森山の南面に避病院があったが、その当時は必ず狐は病院の廻りを二三回まわるものであったといわれる。この森山の狐は有名であるが、その後亀岡の三千刈で猟銃のため打たれたというのである。また森山を中心にばかされたという話はたくさん残っている。
(露藤)
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