27 観音堂

 やや降りて滴る翠松の間点綴せる楓葉あたかも血潮流したるが如く紅葉せる洞山の麓に小宮あり、これこそ大慈大悲におわします観音堂、菩薩を祭れる堂宇にして本村の名刹和光山観音寺万徳院の統するところ、賽にして堂中に奉安せる御本尊を拝す。崇高なる御容姿と御慈悲深き御眼ざしをたれ給いて、われらが深き罪の子を憐愍愛撫し給うが如く、実に尊くもまたありがたく拝されぬ。そもそも当観音堂は今を去る四百余年前大永四年当山中興宥賢法印の建立にかかるところにして奉祀せる観音像は、さらにそれに遡ること三百数年前、即ち保元・平治の乱において源義朝の家臣渋谷金王丸の奉持せる守本尊を奉安せるものと伝う。しかしてその時の背負たる笈今に当院に現存せり、その笈や実に三個の短足ありて外面塗るに舟砂を以てし、僅かに箔素なる彫刻を施せり、内面は横に一つの区画を置き下部は大にして甲冑を容るるにたり、上部は稍々小なるも数日の行□((一字不明))を貯うるに足る。形状彩色甚だ古雅にして一見中古の作品たるに似たり。
(和田)
>>つゆふじの伝説 目次へ