16 熊野権現昔語り露藤の熊野権現は今から五六百年以上前は七堂伽藍も備わり、境内は百間四面もあったと昔からいい伝えられている。また仁王堂の地名は仁王堂を安置したところで、また的場というのは大舘の舘主の的の稽古せし処と昔から伝承されている。また二町ぐらい西方にある「二の塚」は熊野権現を他に移したとき、お札あるいは一切経を埋めたところという言い伝えがある。元禄の露藤検地帳にも古塚五つの二つとして、除地になっているから、霊地であったのだろう。この除地は五つ塚といわれたのは、二つ塚の北方一カ所、南方の俗に地方札塚、中島部落の一切経塚などで、一切経塚からは太刀一振が出土している。 |
(露藤) |
>>つゆふじの伝説 目次へ |