15 いたち明神

 鶏権現を祀っている同家に、いたち明神という社がある。今から六七十年のこと、只一人の娘が生れた。家の人々は蝶よ花よと育てた。立てば歩めの親心、こうして娘は成長し七才の年のこと、米沢城下へ祭礼へつれて行き、娘の欲しがるまま櫛とかせを買ってやった。子ども心によろこぶ有様を見ては家の人々の喜びであった。
 月に村雲花には嵐とはよくいったもの、こうして育てられた娘、ふとした風邪の心地で床についたが、それが源となって他界の人となった。一家のなげきはたとえようもなかった。一人娘のことだからといって、家から遠くもない墓地へと葬り、毎日墓参りはかかさなかった。
 ある日のこと、墓参りに行くと一匹の猫のような大きいいたちが、つくねんとして、家人が行くと、いずれへか逃げて行く。翌日もまた同じであった。それからというものは母親の目にうつるものは娘の姿であった。流し場で鍋仕事をしておったら、川上の方から流れて来たものがあった。よくみれば娘の櫛さし、かせかけた姿で流れてくるのであった。
 おどろいて、なお見ると、姿は笑うのであった。そしてかき消すごとく消えた。ある時は川下の方から娘の生首は流れをのぼって来た。それは再三止らなかった。父親はある夜、床についたが何となく寝つかれない。そして身体はだんだんと重くなって来る。怪しいと起きて見れば、四斗樽大の人の足のスネであった。こうしたことはそれからそれへとあった。早速大学院へ行って占ってもらったら、娘可愛いの念につけこんだいたちの仕業であった。早速悪霊除けの祈祷したけれども、さらに甲斐はなかった。そこで一社をたてて祀ったのが「いたち明神」という。
(露藤)
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