14 鶏権現のこと今でこそ置賜から横断道路に連絡して便利になり、置賜には製糸場もできたが四・五十年前までは大木繁り萱は道をおおって淋しいところで、ことに天王川辺は淋しく狐や狼がいたるところに横行していた。天王から少し行くと、樋場部落があり、四カ村樋場のかたわらで、四囲萱野、林の中の部落、さびしいところであった。同部落に大木太郎左ヱ門という家がある。寛永以来四カ村の堰守をしていたという。洪水時など水が増した際、傍の横口を抜いて安全策をとろうとして堰守をしているのである。この家に祭られている石宮に「鶏権現」と「いたち明神」とがある。鶏権現のいわれはこういう話が残っている。むかしのこと、同家に久しく働いていた一人の女があった。こんど暇をもらって自宅へ帰り、百姓として働いていたところ、突然女の母親は病気となった。百方医療に手を尽くしたが、平癒しない。浅川の大学院へ行って祈祷してもらったら、他所の鶏のミソ鳥を煮て食すべし、そうすれば平癒するであろうと言われた。かねて主人の家、樋場の太郎左ヱ門にミソ鳥がいるはず、さっそく樋場へやって来た。もはや夕刻となった。そして大病の母のことであるから、宅の鶏をゆずってくれよといったら主人の太郎左ヱ門さん、それは心配のこと、さいわいミソ鳥がいるから持って行けと、鶏小屋へ入ったら、すでに寝屋に上っていた。 「寝屋に上っていては、かわいそうな事なり、明日来るべし」といえば、太郎左ヱ門さんは、「病気は一刻を争うこと、持ち行くべし」と寝屋へ上り捕えて持たしてやった。それを食べると旬日ならずして全快したという。 ところが、不思議にもこんどは太郎左ヱ門さんが病気となり、百方医療に手をつくしたが全快しない。ある夜のこと一匹のミソ鶏が枕元にあらわれて言うには、 「自分は飼育されたミソ鶏なり、殺されること当然であるが、すでに寝屋に入って、自分は別のところにいる。それを捕えられて殺されるのは、何と無念なことだ」 といって、かき消すように消え失せた。こうしたことが幾度かつづいた。ここに至り太郎左ヱ門さん、鶏の霊をなぐさめるため祠を建てて祭った。太郎左ヱ門さんの病気は全快、またそれ以来同家では悪い風邪などないという。 |
(露藤) |
>>ちょうじゃのむこ 目次へ |