107 吉弥大工のこと

 中島部落の大日堂は地方の名大工といわれた吉弥大工が天保年間に建てたものという。同人はまた文殊堂の大修理もなしたし、庭渡明神も同人の建てたものだとも伝えられる。
 同人は遺言を残し、嘉永七年三月八日死去した。遺言は棺の内へ裃を入れ、扇も入れてやったが、樫の木の棒(カツノキ)を入れなかったので、家人はうなされて両三夜ねられなかったという。それで思い出して墓へ持参したという。口がわるいので弟子がなかったという。
(露藤)
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