104 安部三次の和歌

 安部名兵ヱは幼名三次という。名左ヱ門の二男で、軍蔵の後継ぎである。その性豪快、才智にとみ、よく衆人につくした。御上人について屋代郷の代表として役人とともに江戸にのぼり、晩秋に江戸から冨士を見て詠んだ。
   冨士見ればいとど寒さはまさりけり 我がふるさともかくやと思へば
 役人は、百姓として奥ゆかしい奴だとほめた。湯殿山参詣もよくした。弁天沼を通り、その神秘の沼に口ずさんだ歌
   弁天のそふの沼を拝むのも これ行坊の穂とこそ知れ
 屋代郷の文久騒動には露藤を代表して仙台白石と転々として奔走したりしたが、故郷の家内病気のため帰宅、その代理として今井五右ヱ門が代ったとも伝える。
(露藤)
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