3 白髭明神境内大杉の思い出

 元鎮守様の大杉といえば、付近でもないといわれた珍らしい大木が林立してあり、遠く梨郷辺から、入会山方面から露藤鎮守さまの杉だとて目標になっていた。遠くから眺めると両方高くて中が少し低く舟の形に見えた。ことに明神の社、向って右の御神木は二股となり、直径六尺、下から枝は繁茂してものすごいばかりであった。この杉は、上杉公の内室会津御前のお手植の杉といわれている。内室は、また会津夫人ともいう。会津黒川の城主芦名家の女であった。不幸にして上杉定勝公に子なく、若死してしまわれた。吉良家と縁故関係上強欲にも上野、上杉家をわがものにせんとし、ある時定勝公を饗応に事よせて招き毒殺したと伝えられる。会津夫人は亀岡の文殊堂・熊野権現(宮内)・白髭明神の三カ所へ念願をかけ、願がかなったら二股杉となれと祈ったところ、いずれも杉は大きくなって二股杉になったという。向って左にもまた巨樹の老杉があった。枝下なく見事な木であった。伐採するときどうしたはずみかノコギリの歯はこぼれた。木を調べて見ると、祈りの釘があった。このようにして三四本はあったという。木は一尺角の十二尺ものとして小角板は牛の背、大物はソリで赤湯へ運んだという。
(露藤)
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