83 子育て幽霊

 むかしとんとんあったずま。
 江戸時代、参勤交代の折に、殿さまが途中で泊る宿がそっちこっちにあったわけだ。で、楢下にもその殿さまの荷物を受けたり渡したりする、いわば問屋さまていう家が二軒あったんだど。ほこさ奉公しった「おさわ」ていう女いだんだけど。また男の奉公人しった長五郎ていう人いだんだけど。ほうしたけぁ、長五郎とおさわは仲ええぐなって、ほして長五郎がおさわさ、おぼこ拵(こさ)えてしまったんだど。ところが十月十日の月満ちて、いよいよお産ていうときに、おさわが難産して、難産して、おぼこ産まねではぁ、死んでしまったんだど。
 ほして次の日から、長五郎が寝てる馬小屋、ほこさ来て、マセ棒さたぐついて、
「ああ、こわいこわい(疲れた)、ああ、こわいこわい」
 て、幽霊言うんだど。長五郎は恐っかなぐなつて、気持悪れもんだから、戸全部閉めてしまってはぁ、その幽霊来らんねぐしたんだどはぁ。したればまた馬小屋さ現わっで、こんどは、
「長五郎さん、開けて呉(け)ろ、長五郎さん、開けて呉ろ」
 て言うんだど。長五郎、ますます恐っかなくなって、古い倉さ寝床背負って行ったんだど。ほんでも分んねんだど。ミシミシ、ミシミシて音立てて来るんだど。村中ほの話ひろまってはぁ、問屋さ誰も行がねぐなってしまったんだどはぁ。問屋では何とかして幽霊を見てやっかどて、ほして番太て名付った村の夜廻りしてる人に、ほのこと頼んだんだど。その番太という人は大変度胸のええ人で勇気ある人だったんだど。
「よろしい。んだらばおれ、あれして呉(け)っから」
 ていうて、その晩、百匁ローソク持って倉さ頑張っていっど、真夜中ごろミシミシていう足音が聞えて来たんだど。ほしておさわの幽霊が現わっで来たんだど。番太は百匁ローソク千本さ、次々に火つけて行ったんだど。んだげんどもその幽霊がふうって、すばらしいものすごい息吹っかけだれば、ほの火、みな消えてしまってはぁ、番太が気絶してしまったんだどはぁ。ほのころ、毎晩、飴屋さ六文銭のうち一文持(たが)って飴買いに来る女いだんだけど。はいつはおさわなんだけど。ほして腹の中の子どもさ飴なめさせるため、毎晩一文ずつ買いに来るんだけど。で、はいつ、六日間通ったれば、ぷっつり来ねぐなったもんだから、飴屋でも、
「ああ、おさわだかしんね」
 ていうわけで、蔀(しとみ)そっと開けて見っど、声すっけんども姿見えねがったり、
「これはおかしいぞ、たしかに幽霊だかもしんね」
 ていうわけで、お寺さまさ頼んで、ほして掘り起してみたんだど。ほしてお経上げてもらって柳の枝で、空の棺ばバシバシて、みんなして叩いたんだど。したれば白いものかぶせておいたのさ、血がパッと散って、それからおさわの幽霊は出なくなったんだど。して楢下の常久寺におさわ幽霊の血ついた布だて言うな、最近まであったていうことでございます。ドンピンカラリン、スッカラリン。
(集成「子育て幽霊」一四九A)
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