50 宮城郡と信夫郡

 うんとまえど、仙台の白石に権作というじんさぁいたっけと。そして娘に宮城と信夫という娘二人もっていたっけと。百姓なもんだから、白石街道端の田持っていたと。おもだか、ひえ、びるものなどで荒れ放題荒れっだと。親父は一生懸命心配しながら、さっぱり頭も上げず、腰ものさないで、娘と三人で、今日終(おや)したいと、三番草とっていたと。そして一と掴みになると、道や堤に投げるなだったと。
 その時、憎まれ侍の志賀団七が通ったけと。その侍がお辞儀もしないで、袴さ草をぶっつけたと。
「不礼者め、一刀のもとに切りつけるぞ」
 と言って、親父の首ぶった切ったと。娘は親切な侍に剣術を習い、侍に田の草の仇だから、槍や刀より鎖り鎌だとええと言われて、鎌で仇とったと。そしたば、伊達六十万石の殿様からほめられて姉様の縁ついたとこの名前を宮城郡、妹の嫁に行ったとこを信夫郡としたなだと。とーびんと。
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