48 金庫買えまえど、東根というどこに、弥門様という、うんと大金持ちいたったと。ほんじょ、うんとボロなど着ているがったと。山形さ金庫買いに行くべなんて、浅黄織色のギンボモモヒキに、豆絞りの手拭、編み笠茣蓙に素草鞋、風呂敷大黒負いで、まるで奴(やっこ)見たいだったと。山形一番の店の前に来て、そっち見たりこっち見たりしったと。あんまり見ているもんだから、若い番頭めら六・七人で、親父などこんなもの買ったら、奴が馬買ったようなものだべ、在郷方で買われるのは、東根の大金持、横尾弥門様ぐらいなものだ。親父一つ買うなら、えりどり七つもまける。と、やあやあ言うたと。そうすっど親父は腰骨の風呂敷包みとって、山の程札出して、一番ええの買って、七つのおまけ有難うと、びったり曲ったと。そしたば一番頭衆みな青くなって、旦那も小旦那もオッカ様もみな出て来て、うんと謝まったけと。そして勘定書というて名前きかれたけと。 「俺ぁ、東根の横尾弥門だごで」 と言わっじゃけと。ほだからボロ着ても世の中には金持ちも賢こい者もいるもんだと。ええ振りなどばりしてる人は、看板倒しとか、金箔塗りとか、銀流しとかいうもんだけと。とーびんと。 |
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