46 安達原の鬼婆

 うんとまいど、西京の偉い侍のオカタにいわてという女(おなご)いだったと。自分の娘と公卿さまの息子さまと同じ年頃だったと。それで姥に頼まれただと。息子さまが四つ五つになっても、立ちもしない、喋りもしないがったと。姥は心配して、神信心したり、御祈祷したり、さまざま心配したと。そうしたらば、お行様にはらぴと女を殺して、腹の子の生胆取って飲ませると、確かになおると言わっだと。そこらここらでそんなことされないと、自分の娘も旦那様も投げて、長年住んだ西京をなげて奥州安達原に来たと。ここらあたりだれば大丈夫と思ったど。小屋を建てて旅人を待ちていた時、夫婦もの来たと。オカタは落ちるような腹だったと。そして夫婦者泊めたと。
 その夜、オカタが腹病(や)めたと。そうすっどゴデは婆さんに、
「この辺りに薬屋か、取上げ婆ぁいねべか」
 と聞いたと。婆はわざと訳の分らないどこを教えたと。野越え山越え川越えして行くと、薬屋があるの、取上げ婆がいるの、ゴデが真暗な夜行ったと。今度は姥も大丈夫と思って、早く上様の息子に生胆を飲ませたいと、台所から出刃包丁持って来て、女の腹に刺したど。そうしっど、女はこう言うたと。
「俺は五つ時、母親に別れ、その時母親からもらった九寸五分の短刀とお守りと、櫛・笄・名前は恋衣、風の便りに、母親は奥州安達原にと聞いて訪ねて来たのだ。死する俺は恨みはないが、ゴデどさこの品物を渡して呉れと頼まれた」
 と、姥も一日でも忘れない一人娘を忠義だなどと、他人のことで殺してしまったと、自分も口惜くて口惜くて、うんうんと泣いて、どうせ鬼婆となって人殺しでもしんべと思って、たくさんの人を殺したのだと。
 もとはなんぼ立派な人でも、さまざまなことで心変りしたり、一時の出来心したりするものだと。どーびんと。

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