30 良寛和尚

 良寛和尚さまざぁ、こいつは若いときは立派な名主様の息子だったそうだ。相続人でな。んだげんども、十六の時から和尚さまになったそうだ。そんで日本一の和尚さまになったんだそうだ。そんで、その家の丁度甥子にあたる息子がいだったと。そして和尚の舎弟は、
「おらえの息子は我儘で、稼ぐは嫌いで困ったもんだ。こりゃ、俺など言うたって、何、耳のふちも渡んねじだ。こりゃ、おらえの兄ンにゃは俺どさ身上みな呉(け)てはぁ、和尚さまになって、日本一だと。その和尚さまでも呼ばって一週間も泊ってもらってええ量見でもしてもらったら…」
 そうすれば治っかど思って、わざわざお江戸の方まで行って尋ねて呼ばって来たと。そんでも良寛和尚は来て見たげんども、やっぱり、今日教えっか、今日語っかなぁと、毎日思っていたげんども、そんなことは決して言わないで、少しでもええことしたことを、
「はぁ、それはええ事したもんだな」
 と、誉めてなどばりいるかったと。そうすっど、その息子が誉められるもんだから、悪くないもんだといたと。親父は、
「なえだって、おらえの兄なんざ、日本一の和尚さまなんと言うげんども、おらえのギダレ息子を誉めてなんている。がってもないもんだな」
 といる。そして五日経ち、十日経ちして、段々和尚さまもそこら廻らんなねもんだから、家さ帰んなねごとになったと。そして戸口でワラジを出して、杖棒など揃えて呉たと。そして甥子どこ呼ばったと。
「俺は年寄で、禄なことワラジの紐も、つながんねがら、にしゃ、俺どこさつないで呉(け)てええごで」
 と言うたと。そうすっど、息子はごしゃがれんべと思っていたのが、誉めらっでなどばりいたんだし、心苦しいような勘定で、ワラジの紐をつないで呉たと。紐をつないで呉(け)たところぁ、手のこっぺら(掌)さ熱いものが、ぼだっと落ちて来たと。なえだ奇態なことだと上見たと。良寛和尚は真赤な顔面(つら)して、涙顔面中流していたったと。そして、
「なして伯父様、泣いているんだ」
 と言うたら、
「俺もこういう訳で来たげんども、本当は俺はこの家を相続さんなね人だ。それを勝手に出はって行った俺なもんだから、お前はどうだと言うたて、若いうちはそういうことあるもんだし、とても今日か今日かと思ってたげんど、教える暇なくて、あんだと別っで行かんなね」
 と、余程涙流したと。そしたばその息子も、
「なるほど、伯父もそれぐらい考えていて呉っこんだら、俺も親父に文句言わっでいるようなことしていらんね」
 と、それから立派な人になったったと。んだから、良寛和尚は物も言わねで、涙で教えたんだと。
 どーびんと。

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