28 権次平

 十王から水滝のお不動様さ行くところの途中に平あって、杉の木一本あって、あの古い石塔一つあっどこだごで。あいつはなぁ…。
 権次というのは、若い時、盗人をしたり、火付けをしたり、追剥をしたり、強盗したり、まず村でも手つけらんね悪いものだったと。今日は小滝さ行って盗んだかと思うと、今日は三つ林さ行って盗む、十王・折居あたり、みな荒しつけて何とも困ったったど。そして、
「なじょして、あいつを抑えたらええんだか」
 なんて、一人二人では抑えらんねがったと。その時十王にはいっぱい法印さまあって、妙楽院と法印さまいだったと。その人はうんと法力の強い人で、その人どさ行って相談したったと。村の肝煎など行っての相談なもんだから、何とかして、村を助けてもらいたいと願わっだもんだし、その時、妙楽院さまはこう言うたと。
「いや、なじょな長者でも何でも、八方道切り、十方道切りというのもある。その法力さえも掛っこんだら、決して右も向かんねし、左も向かんね。立つも掛けるも、這うも歩くも出なくなる術は知った。唯その術を掛けっど、俺の子孫は七代たたると言うもんだ。ほだからなぁ…」
「そいつはそうであったべげんど、そこをなじょかして、村一帯の人を助けてもらいたい」
 と願わっだと。そうすっど、大きな弓を引いて四方の角さお拝りして、
「あんだだ、この度するのは、八方道切りだ。八方道切りというのは、東西南北、巽乾艮坤で八方だ。そうすっど、この土の上では何処さも行きようがないのだ。そいつに土の中と天の上と合せっど丁度十方だ。十方なんてとてもされないから、八方道切りをしてくれんべ」
 と、八方道切りをしてもらったと。
「あの野郎、動かんねくていたべ」
 とて、そこら探したと。そしたば丁度裏の青苧畑の石室あっけどこの下さ、アグラかいて、さっぱり動かんねくて、ころころと木の根っこでもあるようだったと。そして米沢のお役人が来て、お役人は、どうしたらええべ、と言うたら、
「こんな悪い者は唯首切って殺しただけでは止まらない。そんで、あそこの平さ穴掘って、お不動詣りが歩くから、首から上を出して置け。そして立札を立てて、五尺の竹鋸を置いて、あそこを通る者は行くときは一ぺん鋸を押っつけてやって、その次の人は、ぐうっと引張って、七日七晩ばりそうして貰え」
 と言うて、したらば、首カクッと落ちて行ったけと。そん時、妙楽院は、
「たとえ悪いことしたとしても、そんがえなことして殺したんだべも、たたられっど悪い」
 と思ってあそこさ石塔建ててくれたんだと。そして妙楽院さまというのも、後(あと)代はあんまり上等ではなかったと。
 んだから、なんぼかたたりざぁ、あるもんだけど。んだげんども、人にたんと願わっだ時だと、承知の上でも、自分の力あるときには、出して呉んなねもんだと。どーびんと。

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