9 鳥(ちょう)偈(げ )和尚この人はえらい人だったそうだ。唐に鳥偈和尚という偉い和尚さまいだったと。丁度その頃、白楽天という学者で、詩などうんと作った人いたったと。 「四百余州の内でも鳥偈禅師といわれる禅師さまだ。俺だっても四百余州の内で名のある白楽天だ。禅の問答して来らんなね」 と出かけたと。 「禅師さま、仏教というものは、どういうもんだ」 と聞いたと。 「ははぁ、白楽天が来たか、ほんじゃ仏教を教えてやる」 と始めたと。 「第一には、諸悪マクサ、シゼンブギョウ、ジジョウゴイ、ゼショウブッキョウ」 と教えたと。 「そいつは、どういう訳だ」 「諸悪マクサは悪いことは絶対すんなということだ。そして世の中の修行など積め、ジジョウゴイとは、喋ったり心持変ったり、悪いことしないで清い気持で行くというのが仏の教えだごで」 「なえだ、はっげなこと三才(みつ)児だって知ってんべ。俺がわざわざ来たのは、はっけなこと聞きに来たのではない」 と言うもんだから、 「昔の和尚さまは、 〝われ蜜なめて甘からば、他人にも甘きを分つべし〟 だ。その次には、〝わが身をつねって人の痛さを知れ〟 だごで。 〝欲するものには与えよ〟 そいつは昔の立派な和尚さまの言ったことだ。おらだこいつも弟子ださ、毎日説教している」 「はっげなことぐらい、鼻たれ小僧だって知ってんべ」 「ははあ、お前も知ったか」 と、こう言うた。 「知った、知った。はっけなこと聞きに来たのではない」 「なるほど、俺も白髪の親父になったげんどもな、そして毎日教えてはいるげんども、言うは易くして、行なうは難し」 と言うた。 「そう言われればな…」 「知ってたなんて、さっぱりしねごんだれば、道知りて行わざれば知らざるに同じ」 と言うた。 「なるほどなあ、やっぱり、ほだごでな。喋るや言うばりでなくて、行ない、なるほどなあ」 と、うんと感心して白楽天がもどって来たったと。どーびんと。 |
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