9 峠の茶屋

 こいつは東海道五十三次の、丁度の箱根山の峯のとこさ出来た茶屋だったと。そこさ侍が休んだと。
「ばんさばんさ、ここから腰掛けて景色見っど、冨士山など目の前に見えるもんだな。ええ景色だなぁ」
 と褒めたけど。そうしたらば、その婆(ば)んさもうつけないような婆んさで、
「ほだし、冨士山はええ、日本一だずもの。そんで早い頃どっから来たお殿さまだか、あいつを見て、うんと褒めた。そしてその時、おれが殿さまに書いてもらった短冊を、ここに持ってる」
「ほう」
「お侍さま、その短冊よんでみて呉(け)ろ」
 そしたらば、その侍は短冊を見て、
   ただ見れば扇ひろげてさかさまに
    かなめはとけぬ 冨士の白雪
「こう読むのだな、こりゃ。中々うまい殿さまだな」
「ほんじゃ、あんだもお侍だもの、歌一つ詠んで聞かせておくやい」
「ほだな、俺もまねことして、何かかにか残して行くか、ばんさ」
   まだとけぬうらみは冨士の山よりも
    いつかはとける 胸の白雪
 その婆んさは、
「なえだ、あんだの歌には引掛っどこあるようだな」
「いやいや、引掛ったとこなんてない。俺思う通りだ」
 ばさまは何日も何日も考えて来たげんども、どこかはっきりしないようで、仕方なかったと。
 それからずっと経ってから、元禄十四年、一人の旅人がそこ通ったと。そんで、
「こういうとこで、こういう歌残したのは、吉良に仇討ちさんなねと入った神崎与五郎という人だったぜ、ばんさ」
 と教えらっで、ばんさも、
「んだべな、唯の人でないと思った」
 と、うんと感心したったと。とーびんと。
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