3 物識りも時には困るまいど、うんと物識りのじんつぁいだったと。そんである馬方がびっこ馬持っていたと。そしてそいつさネギ付けてネギ売りに行ったと。そして行ったところぁ、うんと酒の好きな人なもんだから、茶屋さ寄って酒呑んで立つ術(すび)も知らなくなっていたったと。そうすっど、馬は退屈して退屈してはァ、仕様なくてずうっと歩(あ)いで行ったと。「いや、困ったこりゃ、俺のネギ付けた馬どこさ行ったんだか、分んね」 どて、尋(た)ね尋ね行ったところが、そのじんつぁ何でも判断する物も識ったのと行き会ったと。 「じんつぁ、じんつぁ、馬と行き会わねがったが」 「うーん、馬か?」 そのじんつぁ、さっぱり行き会わないなだげんど、 「んだ、丁度、びっこ馬だな」 「んだ、びっこ馬だ、俺の馬」 「片一方の眼(まなぐ)みえない馬だな」 「んだ」 「年寄り馬だべ」 「年寄りどこでない馬だ」 「うん、んだべな」 「そんなに知ってだごんだら、じんつぁ、その馬どこさ行ったべ」 「いやいや、俺は知ったではない。んだげんども道見っど、足の跡で、何(な)じょにもかじょにも普通についていないで、ビコラタコラとなっていて、それから両方の傍に草は生えていっけんども、片側ばり食って歩く、反対側になんぼええ草あっても、決してそっちの草食ね、そいつは片目の馬に決っている。それから草食ったとこ見っど、随分乱雑なことに食ってある。こりゃ確かに年寄り馬だと思う。んだから俺はこう判断したので、俺は実は見ないのだ」 そんでも、じんつぁがそんがえなことまで言うもんだから、馬方は、 「とにかく、見て嘘語る」 「いや、嘘など語んない。俺は本当の話語っているのだ」 と、中々聞かなくて困ったと。物識りも時には困るもんだと。どーびんと。 |
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