41 佃煮の由来

 江戸の隅田川の尻ざァ、江戸中のゴミ皆流っで行って、ゴミの島だったと。そこさ与左ヱ門という雑魚とりいたったと。雑魚とり毎日していたけと。そんがえ獲んね、そして隅田川の尻の島なもんだから、すばらしく島には草が生えっだと。それを見て、
「いやいや、雑魚とり商売やめて、この肥えったとこ、田とか畑にして百姓になった方ええ」
 と思って、田作りしたと。田拵っていたらば、徳川さまの検見役人が来たと。そして与左ヱ門さ聞いたと。
「こらこら、この島は何という島だ」
 と、聞かったと。そしたば、与佐ヱ門は考えて見て、
「何という島だか、ただ塵芥あつまって島になった、何島か知らね」
「んだて、何かかにか名前つけたらええがんべ」
 と言うたら、
「佃、これはこの田が皆、人がこさえた田だから」
 と書いてみせたと。役人もそいつ分んねくていたったと。後で役人が江戸さ帰って調べたところ佃は〝つくだ〟と言うのだったと。
 昼間になったもんだから、その役人さお茶出したと。そして雑魚など煮たの出したところァ、うんとうまいがったと。そして、
「こいつァ何と名付けたらええべ」
 と聞いたら、
「佃島で煮たのだから佃煮と名付けたらええべ」
 と言うので、そこから佃煮というのが始まったんだと。
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