34 鉄砲紀平萩野(白鷹町)だかに、鉄砲紀平(きへい)という仇名(あだな)付かったのがいたったと。こいつは鉄砲は名人で、いつでも鉄砲打ちは冬ばり余計なもんだから、ミノ着て、カンゼンかぶって、頸さ豆絞りの手拭、ぎっちり、寒いもんだから結って、ハンバキ掛けてオソフキワラジ履いて、カンジキかけて山さ行ったもんだと。ある時、上杉さまから三十匁など、百匁などという鉄砲が入って来た時代に、鉄砲打ちの上手な人はいないか、というお触れがあって、此処のお役所のお役人が、 「萩野の鉄砲紀平だれば、此処から出してやっても恥(はじ)れまい」 という訳で、出してやったと。ところがそっちこっちの者が寄ったと。見ると、足軽あたり着ている衣裳など借りて着て来たり、羽織袴で行ったのもいたと。その鉄砲紀平ばりは、山に行くそのまんまの恰好で行ったと。そして米沢の城下さ行ったと。 「なんだ、そんな恰好して…」 と、ぐるりから馬鹿にさっだと。それから試しに笹野さ行って打ちくらをやったと。そうすっど鉄砲紀平は四五匹の兎取って来たと。 その時、上杉さまにうんと上手だと誉めらったと。そんで今度は、三十匁とか五十匁の鉄砲を、殿さまの前で打つのだから、 「もう少し服装を…」 と言わったと。そん時、鉄砲紀平は、 「わかんね、ええものなど、人のものなど借りてすっど、そいつさばっかり気ィ取らっで、鉄砲さ気いかなくなる。そして慣れないもんだから、身なり動かすにも具合わるいし、俺は着ない」 と、なんぼ言わっでも聞かないで、そのまま山装束で打ったと。そしたば、やっぱり百発百中でこれも黒星をボツボツ射抜かったと。他の人は足軽の着物きたり、羽織袴で、さっぱり当んねがったと。 んだからその人の慣れっだものが一番ええんだと。どーびんと。 |
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