28 飛騨内匠頭建前(たてまえ)したとき、弓矢、大きいな拵って、そいつさ「天下一」と書いたカガミ結(ゆ)つけて、櫛と笄(こうがい)結つけて、髪の毛として青苧糸さ、上に扇を結つける。その理由は…。飛騨内匠頭さまが京都の立派な寺を建てる時、欅の二尺五寸角の柱だったと。そいつを大工さまが墨を違えたか一尺ばかり短かくしてしまったと。その欅は石川県から持って来たのだから、二本持って来るのに人足の千人も掛ったものを切ってしまったもんだから、誰も気付かないげんども、いよいよというとき、自分で気付いたと。 「こりゃ困った、一生一代の俺の失策だ」 と、何日(いつか)もお飯(まま)を食わないで青ざめて心配しったと。オカタは、 「何、そがえに心配ごとある。あの柱建てんのに心配なか」 「そういう訳でない」 「ほんじゃ、なえだ」 と、根掘ったところァ、 「実は、柱切り違いして、一尺短く切ってしまった。俺は腹切っても申訳立たないと思って心配しった」 オカタも力を貸して、 「あれは、俺はこう考える。蓮華の座とか、大柱というものを飾りに付けて、一尺の蓮華でもええし、神さまだれば、四角にして中さ、くびりを付けてもええし、そういう風にして柱を立てればええごで」 と教えたと。そうすっど、飛騨内匠は、 「なるほどな」 と、寺だったもんだから、蓮華の花から柱立ったように拵(こさ)って立てたと。 「よく、大工さま考えて立てたもんだ」 と誉めらったと。誉めらっだはええげんども、女と言うものは口がさがないもんで、 「こういう時、こうした」 なんて言われると、俺は却ってか恥だと思って、オカタの頸をすぐはねてしまったと。そうすっど、オカタ、祟って仕方なかったと。それから考えてその祟りを占師呼んで聞いたところが、 「弓でこの矢を打ってやっじど、祟りの亡霊が逃げて行くから、そうした方ええ」 それから弓と矢を拵えて立て、そいつさ女の頸に天下一と書いてー目や鼻の代わりにー櫛・笄をつけて末広く栄えるように扇をくっつけておいた方がええということになって、そん時から弓矢というものを拵うようになったんだと。 |
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