26 信心はイワシ頭からまいど、お花というお飯(まま)炊きがいたったと。お花は非常な信心家で、お観音さま、一寸八分のお観音さまを飾って大黒柱の傍で毎晩おがんでいっかったと。おがみはだっと(始めると)慈光がさして明るいくらいになったと。若衆も大勢いるもんだから、「なえだ、馬鹿ヘナ、あっけなめんくさい顔面(つら)しあがって、あんがいめんくさいような女(おなご)は日本にもいねもんだ」 なんて、小馬鹿にして、 「何おがんで、あんがえ明るくすんなだべ」 なんて扉開けてみたらば、こんがえ小(ち)っちゃこいお観音さまであったと。それからお観音さまをとって、代りにイワシの頭を流しから持って来て、そいつと取換えて置いったと。そして若い衆はみんな寝ないで、 「始めんべ、また。あのこめんくさい女(へな)!」 なんて待っていたと。そしたれば、また手合せて女が始めたと。そしたらば、そいつからも同じ慈光さして来たと。そしてあんまり信心家なもんだし。 すると、隣近所に癩病(どす)がいたったと。 「俺の病気は親ゆずりの病で、治りはしんまいげんど、お前のように信仰したらば治られるかと思って相談に来た」 「そいつなど、治すのは雑作ない」 お花はイワシの頭さ手合せて、そして始めたと。そしてその人の体中を撫でさすって、ぼっこれて(こわれて)崩れたとこ、膿を皆舐めて呉(け)たと。膿を舐めっど、舐めたとこから皆すかっと治って来たと。そしてありだけ舐め上げた女は、ツゥーッと何処かさ見えなくなってしまったと。そして見たところが、イワシの頭もその女も、影も姿も跡がなかったと。んだから信仰なんていうものは、押すに押さんねどこ、いっぱいあるもんだと。 どーびんと。 |
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