23 刀のたたり   

 横浜の近在に芒(のげ)の浦というところある。その芒(のげ)の浦に青松寺という寺あったと。夏のおむれたい日(むし暑い日)のちょっと小雨の降る真暗な日であったと。和尚さまは、
 まいど、こういうことがあったそうだ。
 村の丁度道の側に、椎の木のすばらしく太い木があったと。そんで風もない穏やかな日に、木は段々根もくずれになって行くんだと。
「これは奇態なもんだ」
 と思っていたら、今度はスパンとかっちゃ(裏返し)になってしまったと。二三百年もなる木が唯もの、むくっで(倒れる)行くのはおかしいもんだと思っていたと。
 そしてみんなの話になって、そこさ行って見たと。そしたれば鉦を叩くような音ァする。そして何か「南無阿弥陀仏」のような念仏の声がする。奇態だと思っていたと。そしてみんなの話になったもんだから、そう言うごんだら、何か中に神さまか仏さまがいるのんねが、と代官所さ届けたところぁ、そこ掘ってみろということになった。掘ってみたところが、掘るに従って、「南無阿弥陀仏」と鉦の音が大きくなって来たと。そしてそっくり掘ってみたところが、石の棺だったと。三尺四方ばりあって、高さ四・五尺もあるような石の棺だったと。そして掘って開けんべもないもんだから、石屋を頼んで刃物で開けてもらったと。そしたらば、猿この干しものみたいな野郎こが出はったと。お経の本と鉦もあったと。代官所でも、
「そういうもんだれば、なじょかして生きるように介抱してみろ」
 と言わっだもんだから、まず薬呑ませたり、オモユを飲ませたりして、段々したと。そしたれば小ぶりではあっけんども、当り前になったと。そしてその人に、
「どういう訳でこんなことした」
 と、聞いたれば、
「俺は、元和尚さまについてた小僧っ子であった。そん時、和尚さまにこう言わっだ。お前はなんぼここで修行したとしても、剣難に会う性合いに生れて来たんだから、俺はどれぐらいなトトサイお経を読んだっても、剣難がとれようがない。んだから一層、御入定―生きたまんま石の唐戸さ入って埋めてしまって、死んだ方がええんねが、その方だと、早く生れ変るということもあるし、本当に仏さまになることもあるし、と言わっで、石の唐戸を拵ってもらって、お経の本と鉦をもらって入ったんだ。そんでこうなったんだ。今からまた寺の小僧っ子になって修行してもええ」
 と言うたと。
 ところが、ある風吹く晩に泥棒が入ったと。そうすっど泥棒に掛ったと。ところが泥棒に刀を抜かっで、一刀のもとに切りつけらっだと。そんでその和尚は本当に死んでしまったと。んだから、そういう性合いに生っだ人は刀難に合う気性の人は刀のそばに寄らね方がええもんだと。三百年も石の棺さ入った人は娑婆さ出て、僅かで切らっでしまったと。刀の難や水の難に会う人は決っているもんだと。どーびんと。
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