16 名人大工

(1) 障子作り
 ある村に、大工さまの名人という人が二人いたったと。それで、そういう名人という大工に障子一間ずつ試しに織ってもらうと、二人に頼んだと。
 一人の大工はちゃっちゃと、いい塩梅に織って持って来たと。そして見たところが、
「なんだ、こっちの家は、俺の障子はすっぱり織って来たんだげんど、合わない。ということは古家は柱が曲ってたり、敷居・鴨居が曲ってたりするために、合わねなだから、こっちの家ァ悪いのだ」
 と、柱を削ったり、敷居を削ったり鴨居を削ったりして嵌(は)めて行ったと。
 それから、手間とって、別の大工来たと。
「いやいや、障子の織り方下手なんだな。これほと念置いたけど、合わねということは、俺が未熟だからだべ。それで元家(もとや)というものは、あんまり粗(そ)だすとよろしくないから」
 と、自分の織った障子を、そっち削りこっち削りして、そしてまた削り合せて、古家はさっぱり傷付けねで合せて行ったと。
 その後、大嵐が来たと。そうすっど先にしたのは、柱を削ったり、敷居・鴨居を削ったりしたもんだから、そこだけびちゃっと、ひっ潰っでしまったと。後に持って来た大工のとこは、そのままでいたと。そいつは嫁と姑と同じで、
「俺の娘は日本一だから、俺の娘さ合わねのは、姑がわるいのだということと、こいつは家風に添わなくてはなんねと、自分が拵った娘を教育してその家の風に合せて行ったという意味だ」と。


(2) 行灯(あんどん)作り
 むかし、すばらしい名人大工がいたった。そんで、行灯拵(こさ)って呉(け)ろと頼んだと。行灯とは四本柱だ。その柱削りばり一週間も削る。一本の柱に。
「こんがえ、モソモソという大工では困ったもんだ」
 と思って、旦那は、
「いま少し(ちいと)、もよってから(経ってから)、またお頼みすっから…」
 と、帰してやったと。そして別の大工頼んだと。ところが後の三本削って、上下作って半日ばりでちゃんと出してしまったと。
 そして行灯が出来たからと、旦那が持って行って灯を点けてみると、四本の柱あるの、三本しか影が写らない。奇態なごんだどていたと。先の大工が一週間も削ったのは、さっぱり影ぽちなしの柱になったと。
 んだから、仕事というのは、ねつくするとねつくする程、やったたげはあるもんだと。


(3) 行灯大工
 行灯頼んだと。半分ばり削っていたげんど、その大工あんまりモゾ語っているもんだから、
「もうええは!!」
 と言うもんで、大工は束ねて、池(たんなげ)さ、
「こっげなもの!!」
 とぶち込んで行ってしまった。
 そして別の大工さ頼んで、それを引上げて見て解(ほど)いて見たところが、中さ水がさっぱり通っていない。
「いやいや、一週間も水さ漬けて中さ水一つも通さないぐらい鉋を掛けて束ねて行ったんだな。とっても俺(おれ)等(ら)は及びもつかない」
 と、旦那に会釈してもどって行ったと。んだから、仕事というものは、ねつくするとねつくしただけある。粗相にするもんでないがったと。

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