26 宇都宮の吊天井

 むかしとんとんあったずま。
 三百年ほど前に徳川家康の孫に当る竹千代君、鶴千代君ていう二人の子供がいた。その竹千代君がどちらかと言えば大器晩成型であった。弟の鶴千代君は鼻から入って目から抜けるようなきれ者であった。二人は兄弟同士なもんだから、仲ええげんども、それを取りまく側近同志の仲たがいていうものは、血で血を洗うようなものあったんだそうだ。ほして何とかして兄竹千代君をなき者にしようと考えたのは、弟君の側近。そしてあるとき、日光に東照宮を建てて、その奥に親君家康公の墓を作って、そしてそこさ墓詣りという名目で宇都宮というところに吊天井を作った。吊天井ていうのは、ロープで天井を吊ってで、そこさお客さま入ってきたとき、そのロープを切り落す。そうすっど、その天井、バーンと落っできて、その下にいたものをみな殺しにする。またその吊り天井を作った大工はみな抹殺される。情報もれないようにできると同時に、全部殺されるていうのが、言い伝えであったらしい。
 ところである時、その師匠が棟梁が自分の弟子に、まだ年端もいかない、ようやく二十才になったばかりの弟子がいだった。ほしてその弟子に言うた。
「お前には十八になるお絹という恋人がいた。われわれはもうこの仕事してからは、所詮、娑婆さ出て生きて行ぐわけに行かないんだ。ここにはお堀が廻さってる。このお堀を越えねげば、娑婆さ出らんね仕組になって、ほしてここで吊天井おらだこしゃえらせらっでいるんだ。これが終ればみんな殺されるんだ。どうだお前、もう二・三日で吊天井完成する。その暁には我々は殺さっでしまうんだ。お前、今夜ここ抜け出して行け。一人ぐらいは何とかなると思う」
 そういう風に棟梁が言うて()だ。「はい」て、矢も楯もたまらねぐなって、弟子の若者が寒中お堀を泳いで、向う岸さ行って、そしてお絹さんの家さ行って、
「かよう、しかじかだ、もうなかったものとあきらめてもらいたい」
「帰らねで()ろ、おれと一緒になって呉ろはぁ、もうほだんどこさ行かねで、何とかお願いします」
 て言うたげんども、その大工の若者は、非常に信義の厚い者だったから、「棟梁だけ殺さんね、おれも一緒に行って死なんなね」
「男同志の契りは生命かけているんだから、師匠はんばっかり殺すわけに行かない。おれは是非とも帰んなねんだ」
 て、そして楽しい逢瀬の日もつかのまにして、またお堀を渡って帰って行った。いよいよもって完成した。そのあかつきに竹千代君が、その家康公の墓詣りていう名目で、供ぞろいして行列組んで、「下に下に」て、宇都宮さのぼってきた。その時、うら若い一人の女性が竹文と称して、竹に直訴を書いた手紙をその行列にささげた。
「無礼者!!」
 て言うわけで、その女が捕った。ほして、中開けてみたれば、宇都宮の吊天井の一件が克明に記してあった。
「これはいかん」
 て言うわけで、お墓詣りを中止してすぐ江戸にもどった。ほして事なきを得た。宇都宮の吊天井は不発に終った。
 で、その娘が一たんは無礼者ていうて取押えらっだげんども、すばらしく後からお賞めになって、ならばまだ生きているに相違ないて言うわけで、その愛する若者をすぐさま探すように命じて、その大工探してみたげんど、もうすでに後も片もなかった。して、その責任を感じた弟君の方は、失敗に終ったので、自害して果てた。その竹千代君こそ、後の三代将軍家光公であったんだど。どんぴんからりん、すっからりん。
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