2 お釈迦さまの弟子

 むかしとんとんあったんだけど。
 お釈迦さまが修行終えて、出定してきた。山から出はってきた。いろいろな人を弟子に持った。その弟子に離婆多(りばた)という人と舎利弗(しゃりほつ)という二人の兄弟がいたんだけど。兄の離婆多という人ぁ人よりも一を聞いて十を知る。とても賢こい人だったど。弟の舎利弗という人は愚鈍で、まぁ十を聞いても一も憶えらんね。
 ところがお釈迦さまの教育方法ていうもの決して一つの課題を押しつけねがったんだど。その個人個人によって、今の言う個性教育をやったわけだ。ほしていろいろ頭のすすんだ者にはすすんだように、のろまな者にはのろまなように教育した。ほしてこの舎利弗という人が、お釈迦さまに言うた。
「おれみたいな馬鹿、なしてこだい馬鹿なんだか、お釈迦さま、何とも仕様ない」
 ほしたら、
「いやいや、ほうでない。明日(あした)からお前さこういうこと教えっから、その通りやれ」
 こういうこと言うた。
「なぜしたらええべ」
「ええか、箒(たが)って朝げから夕方まで『垢を払わん、塵を払わん。垢を払わん、塵を払わん』て掃け」
 そして、それが三日・四日と続けた。一週間目の朝、お釈迦さまんどこさ飛んできた。
「お釈迦さま、お釈迦さま、分りました」
「そうか」
「垢を払わん、塵を払わんて言うたのは、決してこの外や体を清めるばりでない、心の中の垢や塵を払うことだったべな、お釈迦さま」
 て言うた。
「そうだ、そうだ。よくお前は悟りを開いた。決して人間がなまじっか頭なのばりええったて分らね。お前の兄なの、あだえ頭のええようだげんども、何一つ悟りなてひらけないんだ。お前が、あれほど自分ば、おれみたい分らね、分らねて言うていたなでも、一心になって勉強すれば、こういう風にお前の兄より早く悟りをひらくことできたでないか」
 こういうこと言うたけど。どんぴんからりん、すっからりん。
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