14 親棄山

 むかしは苦しい生活の時もあったし、また飢饉も時々やってきたそうだすな。そういう時には、食糧難に会って、年寄りは、ある地方では、山さ投げたそうですな。六十一才になっど。
 それである人が、孝行な子どもがおったそうだすな。それで、たった一人の婆(ばあ)も六十一才になったわけです。六十一才で投げねばならなくなったわけです。そこで婆さんを背負って姥捨山まで投げに行ったそうですな。姥捨山さ小屋かけて、そこさ投げてきたそうですな。
 せば、木の実でも草の実でも食べて、そして生き延びたけば生き延びて…。
 婆さん、投げに行きながら、婆さんが背中の上で、時々木の枝折だるていうそうだ。それから不思議に思って、
「婆さん、お前、何してたのだ」ていうけぁ、
「おれひゃあ、お前帰りに道に迷うがと思って、目印のために、木の枝、こう折って来たから、その木の枝折だったどこ探して行けば、家さ行ぐから」
 て、こういうわけだ。そこでその男が、
「とてもこれだば、ああ、母の愛情ていうもの、まず、何とも言えねぇ」
 とても投げられねぇぐなったわけだ。それでこんど、
「とても投げられねぇから、おれ、連れて行くがら」
「なして、村役人から見つけられたら、殺されるから」
「ええ、それでもええ、おれ、婆さんどこ床さ隠しておくから」
 そして、日とっぷり暮れてがら、誰も気付かねうちに家に、婆さんどこつれてはぁ、婆さんどこ、ずっと置いたもんだ。それからずっと納屋のどこさ、誰も気付かねように隠して置いたそうだ。そして食べさせておいた。そして投げて来たことにして置いたもんだ。
 それからずっとなってから、ある時に、村の若い者どこみんな、村役人が集べて、「これしゃあ、お上から廻ってきたもんで、同じ太さの角材のような木、どっちがウラでどっちがモトだかていう考えもんだから、どっちだか、ほんで当った者には、黄金何枚くれる」
 ところが、若い者集まって、いろいろ考えても誰もわからね。それから若い者も行って、
「なるほど、同じ、丁度コえに作ったもんだから、どっちだか」
 その特徴ないわけです。それからこっそり婆さんさ来て、
「今日ひゃあ、村で寄合いあって行ったところが、お上から廻ってきたどて、本当にモトとウラも同じもの、それ当てれば、黄金何枚だか呉れる。どっちウラだか、モトだか分らねもな」
 ていうど、その婆さん、
「木ていうものは、なんぼ同じく作っても、必ずウラは軽いのだ。んだから、タライに水を汲んで、そしてそれを浮かせれば、なんぼでもモトの方沈むもんだ。やってみれ」
 それからこんど、
「やってみる」
 ていうた。若い者集まってだ。タライもって、タライさ水を汲んで放してみたところが、やっぱり幾分でも片方沈むていうんです。ほして、
「こっつがモトでこっつがウラだ」
 て話したそうだす。それから、
「何とえらいもんだ」
 て、村の役人がモトとウラの印をつけて殿さまに差出した。そしたらこんど、呼び出しきたわけです。
「やぁ、呼び出し来たから、何かまず、婆さんでも隠してだな、ばれたでねぇか」
 て、はらはらしたわけです。ところが、村の役所さ呼ばれて行ったら、
「お前、この、どっちウラ、モト、何として分ったのだ」
 ていうたど。それから正直な男だから、隠し切れないで、
「実は、おれは一人いた婆さんどこ、六十一才で投げに行ったども、こういうわけで、背中の上で、時々木の枝を折っていぐ。なしてて聞いだけぁ、まず帰りに道迷うようなことないように、枝を折って行くのだから、枝を折ったとおり、間違いなぐ家に帰るんだというその声を聞いだけぁ、おれ、とても涙出てはぁ、投げることできねくて、家さこっそり連っできて、いま納屋さ隠して、そして、この問題を、何としても分んねくてはぁ、婆さんから教えられて、分ったんだ」
 て、その通りに話したわけだ。
 ところが、そのこと、こんど役人がまたお上さ申し出たところが、まもなく黄金何枚と、役人が持ってきた他に、
「おれが馬鹿だった。お前のために、おれが今日初めて人間の年寄の徳ていうこと分った。年寄りは国の宝なもんだ。おれが悪かった。これから後、六十才以上だれば、山さ投げること、今日から止めにする。年寄はなんぼなっても大切にすること」
 としたど。
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