2 三井寺の蛇女房

            いでいるやなみまのつきはみいでらの
             かねのひびきにあくるみずうみ
 むかし、あるところで、ずっと山奥の山奥の、ここのような、ささやかな部落があったわけです。
 その部落で炭焼きを渡世にしておる、ごく貧乏な男がおったわけです。その男は律儀な男で、三十才をすぎても、まだ嫁も持たずに一人暮しでおったそうです。それで一人で、朝早く起きて飯炊きして、そして炭焼きに行って、夜遅く帰ってきて、それからまた自分で飯の仕度をして、というような、わびしい生活をしておったわけです。
 ところが、人間は非常に正直な男で、まずいつわりは全然したことないていう、正直な男であったわけです。
 それである日、朝早く出て行って、炭焼きをして、夜、日暮れに帰って来るど、人の家はみんな行灯点いて、灯りが点いてはぁ、窓からかすかに灯りがもれている。しかし自分の家は真暗闇などこさ、自分が入って行って、自分で行灯点けて、灯りをともし、それから飯の仕度にかかるというのは、日常であったわけです。
 ところがある日、日が暮れてから帰って来たら、例のとおり自分の家の真暗などこさ入って行くなぁと思って来たところが、自分の家から、かすかな灯りがもれてるわけです。
「はぁてなぁ、おれの家で灯りもれてるなて、不思議だな。おれの家には誰もくる人がいねもなぁ」
 と思って、それから、そこで炭を降ろして、こそっと入って見たところが、
「どうも御苦労さまでした。お帰りなさいまし」
 て、女の声だ。はっとびっくりして、見たところが、きれいなお姫さんが、昔で言えば十二単衣を着た、うしろに髪をたらした、本当にお姫さまなわけです。びっくりしてしまって、
「おれの家さ、まず、こういうお姫さま、なにして来たもんだべか」
 と思って、返事すんにも戸惑ったわけです。足すすぎをもって来て、ちゃんと洗ってくれたわけです。やぁ、びっくりしてしまった。生れてから、他人になど足も洗ってもらったことない男だし、何と、おろおろしてしまったわけです。
 それから、自分の居間に上がってみたところが、ちゃんとお膳さお酒までつけて、御馳走作って待ってだわけです。それから喋る術(すべ)も応接も知らねぇだ貧しい男だもの、何というか分らねくて、黙っていたわけです。そしたら、そのお姫さまいうには、
「わたしは、ずっと遠方から来たもので、京から来たものだ。わたしは京で生れた者で、あなたを何とかなぐさめようと思って、京からはるばる参った者だ。今日は、はからずもあなたと会うことができて、こんなにうれしいことはありません。どうか遠慮しないで、あなたのものであるし、何でも、お魚でもお酒でも、いっぺえあるべし」
 それから、返事を知らねぇ正直な男だし、
「いやいや、見たこともない料理、何として作ったもんだべ」
 と思って、それからそれ食べて、まず、とてもおれ一人でなの、何ともならねから、まずお寺の坊さんさ相談に行ったわけだ。
「いやいや、家さ来たけぁ、何ときれいなお姫さまいてな、お酒から料理まで作ってもらって、おれ、生れて初めて食ったども、何とせえばええんだか、案じて坊さまさ相談に来たどこだ」
 それから、坊さま、
「お前みたいな正直な人間だもの、天からでも授がったんだかも知(し)しゃね。どれ、おれ行ってみる」
 て、和尚さま来て呉たわけです。和尚さま来て、丁重な挨拶していたとこ、何と、とても昔の公家さんの娘ていう家だ。何喋っても垢抜けてるわけです。それから事情聞いたところが、
「この人をしたって来たもんだからしゃあ、何ともしゃぁ、おれどこ嫁にして呉られねぇか」
 ていうわけだ。それから何と、どちてしまったわけよ。
「この通りの住いでもあるし、こういうつまらねぇ家でもええごったば、おれが仲人役に立つから、仕合せになってくれ」
 と、そういうわけで、こんど酒を買う金もないし、水盃をもって夫婦の契りを結ぶと、そういうわけで、坊さんが仲人役して、そこでまず、夫婦の三々九度の盃を終して、夫婦の契りを結んだわけです。
 その次の日から、何と朝は早く起きではぁ、ちゃんとおにぎりでも何でも出来るし、何もかもすぐに御飯食べて山さ行げる。はずみがあるわけだ。山さ行っても家さ行ぐときれいなお姫さま待でると思えば、はずみ出てはぁ、一生懸命やってはぁ、夕方行けば、何と、
「御苦労さまでした。お帰りなさいませ」
 て、すすぎを持って来て、足を洗ってくれる。いやいや、夢のような月日を送ったわけです。
 そうしているうちに、一年しまったら、本当に玉のような男の赤ちゃんが出来たわけです。なおにも家の中、にぎやかになったな。
「ああ、赤ちゃんの泣き声もするし、なに食べてもおいしい。こんな幸福なことまずまず夢みたいなもんだ。どっから授かったか分らず、天からでも授かったものだ」
 と思って、まずはぁ、感謝の日を送っていたわけです。
 そんで、ある日も、一生けんめい炭焼いではぁ、出がして、また行けばまた笑顔見ねぇど思ってきたどころが、他の家はみんな灯り点いてるに、自分の家だけ暗いわけです。
「はぁ、いつも灯りついて、笑顔で待って迎えてくれるはずなのに、何としったんだべ」
 て、不思議に思って中へ入ってみたところが、赤ん坊がエズメの中で、玉の汗 をかいて泣いている。そしてその名前を呼んでみたげんど、いないわけです。なんぼ呼んでもいないわけです。それから何と、赤ちゃんどこ、エズメから上げてあやしたげんども、なんぼか腹へったものやら、あちこちすなぶってはぁ、いつから乳呑まねんだか、わかんねわけです。困ったもんだ。何としたもんだ。坊さんに相談に行って、どこさ行ったかも分らね。書き置きもあるわけでもないし、何もないわけです。
 それから、いつも自分が炊事の仕度をする流しの方さ行ってみたところが、水瓶の蓋の上に鏡と針を置いてある。
 ところが、昔の人は文盲の人が余計だったので、まず、
「これはきっと、事の理由をあらわす謎だ」
 と思ったわけです。坊さんが言うに。ところが、坊さんが、
「これは、播磨の国の鏡が池…」
 針と鏡が、下は半分あけてある水瓶を池にたとえて、「その池さ来いというのだ。次の朝早々に播磨の国の鏡が池さ連(つ)っで行ぐ」
 ていうたわけです、坊さんが。
 次の朝間にはぁ、おにぎり作ってはぁ、何もかも子どもどこ、おんぶして、子どもと行ったわけです。行った、行った。その池さ着いたわけです。
「池さ向って、声をかぎりに呼んでみれ」
 なんぼ呼んだたて、来ないわけだ。そうしているうちに赤ん坊が火のつくように泣くわけです。そうしたら、波がひときわ立ってきたわけです。そうしているうちに、はるか向うの方から、大きな大蛇が首を上げてこっちゃ泳いでくるわけです。そしてもはや傍まで来たすけ、坊さんが、
「お前、その形相で自分のかわいい子どもに、その姿を見せる気が、元の姿に返れ」
 て、坊さんが叫(さか)んだそうだ。そうしたら、すうっと姿を水さくぐってしまった。ほしたらちゃんとまたきれいなお姫さまになって、水の上を渡ってきたわけです。子どもが火のつくように泣くので、こんど何とも、この子ども、あまり泣くので、何ともならなくて、あきれてしまって、和尚さんと相談して、
「ええ、まず、乳のませて…」
 たんとのませたけ、その子が満腹してしまって、眠むてしまったわけです。それからこんど、坊さんは、
「お前は唯の人間でないということは、おれはちゃんと分かってだ。分かってだども、悲しい別かれでねぇが、これでは。自分の血を分けた子どもを、何らことわりもなく、こうして行って、これから、この子どもを何として育てる」
「一度、人間の娑婆さ行って、この人の正直な気持に感じて、一度は自分の血を分けた子どもまで出来たども、おれもやっぱり自分の古巣さ帰らねばなんね。何とか勘弁して呉れ」
 したらば、
「何とか印(しるし)を残して行ってくれ」
 そうしたけ、
「仕方ない。おれの片方の目玉(まなぐだま)をとってやるから、この子にこの目玉をあずけておくと、これを持てあそぶど、泣かねから」
 そして、目玉とって、一つ与えたわけです。そしてまたすうっと波さくぐって行ってしまったわけです。それから、まず泣けばその目玉をあずけるわけです。して、コロコロと遊んで、一日炭焼きに行って来ても遊んでいるわけです。
 それから、一年も二年もしまったけぁ、目玉、なんぼあずけだたて、なんぼ泣き止まねわけです。何ともならなくて、また行ったわけです。坊さんどこ連れて。行ったけぁ、また例の蛇になって来たども、坊さんにつかれて、また元の母親になって来たわけです。片方の目だけできた。
 かわいそうだと思ったども、何とも仕様なく、「何とかしてくれ」て言うたら、また乳をのませて、
「おれが、あと、目見ねても、おれはおれ一人で暮して行けるから」
 て、こっちの目の目玉を抜いて、また呉れたど。その子は、その目玉をもてあそんで、一年たち、二年たちして、成長して行ったけぁ、坊さんが毎日来させて、手習いを教えたわけですな。
 ところが、その子どもは「一」を教えれば「十」を憶えるという利発な子どもだわけです。へで、これは只の子ではない、これは百姓だの、炭焼きだのさせる子でないから、寺さ上げてくれろて、そういうわけで、坊さんの世話で三井寺さあずけたわけです。
    いでいるやなみまのつきをみいでらの
        かねのひびきにあくるみずうみ
 その鐘をつくのは、自分の子だという、目は見えないが、じっと聞き入るという話だど。とんぴんぱらりのぷう。
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