伝説

     (1) 遠藤初弥という人

 遠藤初弥という人が、なかなか剛の者で、三山詣りに行ったが、荒武者のその じさま、犬のことを〈ケイヅカシシ〉と言っていたが、三山詣の前に、「なぁに、 神さまなてあるもんでない」といって、殺して食って行ったそうだ。ところが、 山のふもとで大腹病みして困ったということがあった。
 その人がまた、雨乞いのため福島のスルガミという豪士山のかげにあるところ で豪士の風の神の石宮で、神を怒らせねど雨が降んないて、鈴もって滝壺に入っ たら、帰りの豪士山でお雷に会って、ひどい目にあったという。
(渡部隼人)


     (2) 文殊尊

 ババタケ山のどこに、ドンガエリという所がある。むかし、亀岡の蔵王さまが 水浴びして、ドンガエリに来て休んだという。そこに大蛇がいて、ある人がそこ へ行くと、火焔のような舌を出したのに当って、三十日も患ったという。
 ジジタケ山(タカツムリ山)に御神木があり、稲刈り時の天気のいい日に、遠 藤初弥が伐ったそうだ。そしたら、一天にわかにかきくもって、大雨になったの で、鋸を取らないで這って逃げたという。
 高畠亀岡の文殊さまは、ババタケまでは亀できて、一の宮から亀岡までは獅子 にのって、今のところに落付いたという。
(渡部隼人)


     (3) 鼠持(ねずもち)の山の神

 山の神には初穂の代りに男根を供えたものだが、男根を大人がいたずらすると、 罰があたるが、子どもがいたずらしても、どういうことはない。大人が山の神に 屁をひると、目がくらみ、腹がいたみ、目が一つ見えなくなる。
(渡部隼人)


     (4) 山崎山・高内山・浅川山

 置賜に山崎山と高内山と浅川山と三つそろっていた。そうすると、山崎山と浅 川山は男で、まんなかの高内山は女なんだそうだ。山崎山が高内山に言い寄って
「おれのかかぁになってくれ」というので、身をまかせたら、浅川山は怒って、                 「なんだず、山崎山などに身をまかせて。おれには気もあるし、財産もある」と 言ったので、浅川山へ身を寄せた。
 山崎山と浅川山は喧嘩してしまったので、高内山は、「そんじゃ、どっちゃもさ んね」て、どうしたものか、石の森に聞いたど。
 その石の森には岩に八幡太郎の馬のヒヅメの跡があり、そこが前九年、後三年 の役の通り道だったそうだ。
(鏡みやる)


     (5) 石伝・折石

 高房神社の石鳥居の石を運んだとき、折れたところが「折石」で、その石がめっ ぽう重く、道がわるかったので、ようやく石伝を通って神社に運んだというので、 その名がある。
(我妻栄一)


     (6) 豊後屋敷

 昔、豊後の国から、二人づれで針売りにきたが、そのままここに住みついた。 一人は七郎右エ門、もう一人は細谷の孫兵衛だという。
(我妻栄一)


     (7) 海上

 海上とは、昔、海であったところで、千石船の停ったところが〈千石〉であり、 「船停めの松」も残されている。
(我妻栄一)
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