22 雑煮餅(九州で聞いた話)

 九州の今の福岡県、博多さ、元軍が弘安四年押しよせてきた。で、向うの戦いは集団歩兵のやり方、何人もして共同で戦う。日本のやり方は、「吾こそは…」で一人で行った。
 いくら強くても多人に無勢で、ほとほとひどい目に合(あ)せらっだ。帆柱倒して夜襲なんかしたげんども、結局は態のええ負け戦(いく)さであったど。で台風で神風吹いて何間違えたか、何千艘の舟をもやいて、船に返ったんだそうだ。ところがその船が規模が大きいもんだから、ひっくり返ってしまったど。で、たった二人が帰ったという。
 次に攻めて来るときには、虎をつれてくる。虎というのは人間を一噛みだ。それでなくてもひどい目に会う。それから大砲ていうのを積んでくる。これもまた人間が何人となく吹っ飛ばされる。で、その対策、なぜしたらええがんべて、頭のええ人は日本国中の撞き鐘を全部、向うさ向けろ。そうすっど船の上から遠目鏡で見て、
「これぁ日本にもすばらしい大砲ある」
 と、こういう風にも見えるだろう。まず大砲の問題はよろしい。次に、ほだら虎いっぱいせて来てあばれらっだんでは困る。ところかまわず喰いちらかさっだんでは何とも仕様ない。虎よりあらい動物、地球上さ居ねもんだか、いろいろ相談したれば、「いた」「なんだ」「象だ」「象ていうの、どういうもんだ」「象には虎もかなわない」「その象、なぜすっどええ」
 象見たことある人ぁ誰もいね。で、はるばる京まで行って、印度から来たバラモン僧に象を習った。
「足は丸太ン棒立てたようだ。耳は百姓の箕(み)のようだ。バサバサって。鼻はおっと長くて、こういう風になって、頭はこういう風に、背中はこうだ」
 て教えらっだ。
「はいつ、何で作る。材木で作るには、そだい大きな無いし、足は材木でもええげんども、後のどこ困る」
「よし、ええことある。みな餅米あつめて餅で拵(こしゃ)えたらええがんべ」
「ええがんべ」
 ていうわけで、何十体となく、タタラ浜さ餅で作った象を並べた。
 ところが元軍は何日、何十日待ってでも攻めて来なかった。
「もったいないでないか、ただからびかして(カラカラにして)腐らがすのも、もったいないから、ぶっ欠いて食ったらええでないか」
 ていうわけで、その象ば持ってきては煮て食い、食いしたど。それにいろいろな野菜とか肉とか魚とか入っで食(た)べた。それが雑煮餅の始まりだど。
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