2 むじなむかしむかし、楢下は参勤交代の折、七ヶ宿を通って福島に抜け、江戸へ江戸へと、「下に、下に」と先触れして、住民を土下座させながら通った頃、その頃はもちろん車道などはなく、自動車、荷車などもない、馬で、あるいは人で荷物や人を運んだ時代、その頃の実話で、最上一と呼ばれた大場小二郎という馬喰さんがいだったど。盛りのときは馬は百頭もいて、まだ自分の厩にはいつでも二(ふた)ふづな、十二頭の馬がいるんだど。また若衆、下男なども常に五・六人使っていたんだけずま。あるとき、一人の若者が馬の草刈に、むかしは朝草刈りて言うて、朝の二時から三時頃まで、真暗いうち馬で出かけ、右側に三束、左側に三束、計六束の山草を刈って荷鞍さつけ、あんまりあぶやふす蝿の出ないうちに帰って来て、それからゆっくり昼寝して、午後四時頃からまた働きに出るのが、日常だったわけなんだったど。 そして前日に鎌を砥いでおくのだったけどはぁ。今朝もまた夜の明けねうちに跳ね起きて、朝草刈りに出かけだんだけど。ほして、若者はまた美男で気立てのよい人なもんだから、赤山部落の人に、これまた器量よしのお絹と言うて、やさしい娘がいだんだけど。若者は唄のきわめて上手な人で、お絹さんの家の前を通るとき、 朝の出がけにどの山見ても 霧のかからぬ山はない などと馬子唄をうたいながら通るんだけど。そして物語はこっから始まるわけだど。 おぼろげな三日月が西の山さとっぷりと落ちで、まだ真暗な朝げ、水をかぶって、蓑着て、はんばき、ワラジ履きで、そのいでたちで、腰に両目の鎌をさして赤山の村をちょっと過ぎた頃、突然細い声で、 「長八つぁん、長八つぁん」 と呼ばるので、そいつぁ自分の愛するお絹さんの声だったど。若者は夢でないかと思ったげんども、ちゃんと脇にいるもんだし、 「おればも草刈りに一緒につれて行って呉(け)らっしゃい」 て言うもんだから、一緒に草刈りに行くことにしたんだけずま。お月さまが落っではぁ、真暗になったはずなのに、お絹さんの顔が、今日は一段と美しく、天女とも女神ともたとえようのないほどきれいに見えたんだど。今はあのような立派な永久橋だが、その頃は丸太の三本橋だったずま。この橋を渡りかけたとき、一人ずつしか通らんにゃい橋を、彼女は平気で長八の脇を空に降りて並んで渡ったんだど。不思議に思った長八は、「危ない」て、彼女を抱きしめたんだど。その時何だか長八の身の毛が一本一本よだつような気がするんだけど。そして、おかしいこともあるもんだ、体が人間のようではないなと思ったんだど。そんでも彼女は体をすり寄せるようにして、細道を山へ山へと入って行ったずま。若者はさっきのお絹のきれいな顔を思い出して、東の方が白みはじめたので、その顔をまたしげしげと見たんだど。ほうしたれば見る見るうちにその顔が恐ろしい変化(へんげ)のようになってしまったんだど。ほして長八の顔をペロリペロリとなめ出したんだど。たまらねぐなった長八は、ゆんべな砥ぎすました、あの両目の鎌で、右の方へ力一杯に、えっと払ったんだど。ほしたれば、ゾキッとお絹の胴(ど)でっ腹に突き刺さり、キャッと異様な悲鳴をあげて山深く入って行ったんだど。 ふと、われに返った長八は夢か幻か、人一人を殺した罪、 「はぁ、おれは人一人殺してしまった」 ほして、一目散に楢下の旦那さま、大場小二郎宅に走って来たんだど。 「旦那さま、旦那さま、ごめんして呉(け)らっしゃいはぁ、ごめんして呉らっしゃい。赤山のお絹を、おら、鎌で刺し殺したずまはぁ」 真青な顔して、ぶるぶる、ぶるぶるふるえっだんだけど。そして旦那さまさ報告したんだど。夜のとばりが払われて、朝靄も晴っではぁ、ノミオカ山、小笹山の右肩から太陽のあたる時刻になっていだんだけどはぁ。ほして若衆どもと近所の方々とお願いして事件の現場さ飛んで行ってみたんだど。したれば小渕の三本橋もそのまま、柏木、ホッツカ沢山の道の追分けもそのまま、誰も世間の人は気がつかねんだけど。真青になった長八が先頭に、そしてホッツカ沢山に近づくと、点々とした血痕に、一緒に行った一同の者もぶったまげて、 「本当え、お絹さんば殺したんだかもしんねぇ」 て思ったんだけど。ほしてその血のかたまりの点々と続く森の中へ行ってみたんだど。したれば、うめくような何とも言わんねうなり声が聞えて来たんだど。 一同ははっと立停って気味わるいそのうなり声の方を見たれば、牛(べこ)こぐらいもあるような色の、大むじなが苦しんでいだんだけど。みんなでそのむじなを取り押えたときには、もう死んでいだんだけどはぁ。古むじなで、腹には一本の毛もないほど長生きした大むじなだけど。 |
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