43 石堂丸

 むかしあったけど。
 むかし、加藤左ヱ門資氏ていう人ぁ、侍はどうも人を殺したり、出世や何かで、いろいろのことで、嫌(や)んだくなったど。
「おれは世を捨てて、和尚さまになりたい」
 と、こう思ってはぁ、妻や子に教えていれば止められると、そう思ったもんだから、誰にも教えねではぁ、そのまま高野山さ登ってしまったど。そして刈萱と名前変えて、和尚さまになっていたど。それを風の便りに奥方聞いて、石堂丸という子どもつれて、旅かさねて探して行ったど。そして高野山の麓近くまで行ったども、なれない旅なもんだから、母親は体こわして病気になったごんど。そうして、どうやら、宿屋さも泊らんね、路銀もなくなったども、親切な家あって、そこさ泊めてもらったど。そして、
「ここから先、高野山は女人禁制で、とても治(なお)っても登らんね」
 て教えらっだごんだど。んで、石堂丸ぁ、
「おっかさん、おれ行って見て来っから、それまでに元気になってろよ」
 て、そう言って、石堂丸はとぼとぼと一人で登って行ったど。高野山さ。そうして登って行ったら、なんぼもお寺もあり、和尚さん方もいるごんだずも。んだども、一人の和尚さんを、袖おさえて、
「近頃、和尚さまになった人で、刈萱という和尚さま知ってござんねが…」
 と聞いたごんだど。
「今同心の方で…」
 と、こう言うたど。
「昨日剃ったも今同心、一昨日(おととい)剃ったも今同心、そんなこと言うたて、分るもんでないぜ」
 て、こう言うごんだど。
「いや、わたしの父親は加藤左ヱ門資氏という名前の人であったども、御存知ならば教えてもらいたい」
 て、そう言うたど。そしたら、その和尚さま、しばらく考えてであったども、 「そんなような和尚さまだったら、最近逝くなったであんまいか」
「逝くなられたようだら、その墓でもええから会わせてもらいたい」
 て、石堂丸はそう言うたど。そうしたら、お墓さつれでって、まだ石塔も建たないお墓さつれて行ったど。
「これ、その方のお墓だと思うから、よっくど拝んで帰って、とてもあれなんだから、お母さんと家さ帰って、お母さんに孝行して暮した方がええ、そう思う」  て、さとして、そうして帰したど。石堂丸は泣き泣き帰ったど。とぼとぼどな。そしてその刈萱も涙を袖で拭いてであったどな。そしてどうも本当だか嘘だがって言うような、疑問も持ったども、石堂丸は戻ったど。そして戻ってみたら母親は死んでであったずも。そしてはぁ、泊ってた家も親切な家なんだからはぁ、ねんごろに葬って呉(く)っであったど。そしてそのお墓の土を一握り持(たが)って、また父にも会えず、母に死なれ、とてもおれも生きていらんねと、おれも和尚さまになんなねと、そう思って石堂丸も、また高野山さ再び登って行ったど。そうしてこんど、この前教えてもらった和尚さまを探すと思って、一生けんめいで寺廻って、その和尚さまを探し当てたど。そして、
「和尚さん、和尚さん、里さ出て下ってみたら、おっかさんが、とうに死んでであった。仕方ないから、土一握り持って来たから、あの墓の傍さ埋めて、おれを弟子にして呉んねか」
 て、そう言わっだど。そしたら、こんど「あまりええ」て、そこさ、やっぱり埋めて、自分の弟子みたいなことにお寺さ願って、小僧にしてともども和尚さんになってあったど。そしてはぁ、後では親子の名のりはしたそうだども、それまで悟りを開くまでは、他身で暮して通してあったけど。むかしとーびん。
 
〈話者 川崎みさを〉
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