21 三味線を引きずること

 佐兵次は何でも人に負けるということは大嫌いでした。嘉永年中の凶作は米沢 盆地一帯を襲い、その惨害は目もあてられぬものでした。役所からは倹約せよと 通達は矢つぎ早やに下されました。こうした年の秋のこと、我等の佐兵次が米沢 に行ったら、どこからともなく三味線が聞こえて来ました。佐兵次は「こんな凶 作の年に、女狂いとはあまりにも憎らしい」と思って、三味線の音を便りに歩い て行くと、一軒の料理屋で、年の頃なら五十才ぐらいの男が酒に酔って側に若い 女を二人も引きよせて、三味線をひかせて歌をうたっているのでした。佐兵次は いきなりその屋敷にのこのこと入って行きました。そして、「お客さん、この姉さ んはあまりにも三味線が下手だよ。佐兵次から見ると、まるで素人だよ」と言い ました。お客は「おや、誰かと思ったら、佐兵次さんかい、お前三味線ひかれる かい」と半ばあきれて言いました。すると佐兵次は「三味線なら幼ない時から稽 古したものだよ、ひいてお目にかけるかい」というと、出て来た料理屋の主人が、 「ほう、ひかれるのかい、それならひいてみろ」「よしよし、ひきましょう」とこ の家の一番よい三味線を借りて、何をするかと思うと、三味線の棹に中縄を結び つけて、「よし、これからひくぞ」と、不思議そうに見ている主人や女共を尻目に 佐兵次がそのまま外へ出て、三味線を道路に投げ出し、縄で引きずって走って行っ てしまいました。驚いたのは主人や女共で、それっとばかり佐兵次の後を追かけ て行きました。けれども佐兵次の早いこと早いこと、やっと追ついた時には、も う三味線は棹は折れ、糸は切れ、見るも無惨な有様となっていました。やがて佐 兵次は襟を正して、
「旦那さん、佐兵次のいうことを、ようく聞いてもらいたい。今年は大凶作で、 村人は三度の御飯も十分に食えないという時に、いかに米があり、金がある身分 とはいっても、少しは世相というものを考えてもらいたい。それに真昼間から歌 え騒げはもっての他ではありませんか」
 と、形を正しての意見に、お客も主人も色をなくして、「佐兵次、悪かったよ」 と詫をしたということです。
〈平間良重〉
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