18 豆腐であんだ雪がけのこと萱は露藤名物の一つとなっていますが、雪囲いに用いる萱を材料としてあんだ 雪がけは、特に名産でした。晩秋から初冬にかけて何所の家でも競って編んでい ましたが、飛ぶように売れたものです。夜業をして三枚は編めたから、当時とし てはよい副業でした。ある晩秋のこと、露藤村の名左ヱ門宅では一同炉辺に集まっ て、談笑の最中でした。そこへあわただしく入って来たのは、顔なじみの佐兵次 です。「なんだ佐兵次、そんなにあわてて何か珍らしいことでもあるのか、名左ヱ 門さんはそう尋ねました。すると佐兵次は「親方、昨日高畠へ行って珍らしい物 を見て来ましたよ」と答えました。家中の者は「そらまた佐兵次のおはこが始まっ た」と誰もとり合わないでいると、佐兵次は一人で、「珍らしい物だ、今まで見た ことがない」としきりに言っています。そこでつい引きこまれて、「一体何んだね、 そんなに珍らしい物とは」と尋ねました。「いや、世間をあちこち歩いてみると、 いろいろ珍らしい物があるよ、昨日な、豆腐で編んだ雪がけを見て来たよ、ほん とうに珍らしかった」「なんだ馬鹿げている、いくら珍らしいと言っても、豆腐や こんにゃくで雪がけが編めるかい」と、誰も信用しません。「だから珍らしいとい うんです。俺は実際この目で見てきたんだ。私もはじめ変だと思ったんだが、ちゃ んと豆腐なんだからね」。佐兵次のことだから、またやられるなと思ったが、あま り佐兵次の様子が真剣なので、あるいはほんとに豆腐の雪がけを見て来たのかも 知れない。それがほんとうなら一度は見たいものだと思った名左ヱ門さんは、「分ったよ。俺もこの年になるまで、豆腐の雪かけなどというものを聞いたこと も見たこともない。百聞は一見にしかずだし、知らざるは一生の恥だということ もある。珍らしい豆腐の雪がけを明日案内してみせてくれ」と頼みました。翌日 名左ヱ門さんは佐兵次の案内で高畠へやって来ました。「佐兵次、何所にあるんだ。 どれもこれも萱の雪がけばかりじゃないか、此所まで人を引っぱり出して、小馬 鹿にすると承知せんぞ」だまされない中に一本釘を打っておこうと名左ヱ門さん は言いました。「へい、親方、佐兵次はうそと女は大嫌いですから決していつわり は申上げません」と答えながら、ある一軒の家の前で足を止めました。「親方、あ れですよ。確かに豆腐の雪がけでしょうね、下から数えて一ふ、二ふ、三ふ…十 ふでしょう。普通の雪がけは八ふ編みですが、これは十ふに編んでいますんで珍 らしいと申上げたんです」と言いました。聞いていた名左ヱ門さん、開いた口が ふさがらず、雪がけを見入っていたということです。 |
〈大正十五年八月・近野兵蔵〉 |
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