3 番所の役人に小便を呑ます

  文久年間以前の屋代郷は天領と称し、徳川幕府の直轄の地であった。松川の流 れを界して、糠の目窪田は上杉家の私領、流れの東三万石余の地は御預所と呼ん だ。私領上杉家の領地は中興の名君鷹山公以来、節倹を極度に強要した。絹布は まとふな、木綿衣に限ること、酒は飲んではならぬ、私領の生産品たるローソク は他領に売ってはならぬ、曰く何、曰く何と幾十条と知れぬ厳重な諚が、それか らそれへと布達された。領民は放縦な生活から限定された窮屈な生活に生きなけ ればならぬので、此の大改革に反抗した処が、一葦帯水の屋代郷は別天地の趣き である。天下の領民だ。公方様の直領だと大いばりであった。
 酒は各戸毎に造り、絹布をまとい、博奕をする等放縦な生活を続けているが、 米穀を多額に産し、産物も豊富で苛斂誅求の私領に比し名ばかりの貢賦しか納め ない郷民は更に不足を感じなかった。
 当時の制度は上杉領と屋代郷との境に厳重な番所を置き、往来のものを監視し た。佐兵次は小遣銭が無くなったので、一計を案じた。何と思うたが、酒タンポ の中に小便をつめ込んで背にし、今しも糠の目の番所に差しかかった。そんなた くらみとは露知らぬ役人、佐兵次の背にしたものは勿論酒と見て取った。言うま でもなく酒は御法度である。
「これ、佐兵次、禁制の酒を何故持参した、不届者」
「はい、御役人様、これは酒ではない。小便だよ」
「だまれ佐兵、酒タンポの中に小便入れる奴があるか」
「お役人様、それでも小便だよ」
 腹に一物の佐兵、其の侭通り過ぎんとした役人は怒気満面に溢れ、
「馬鹿っ、其方は公儀の役人を嘲弄するか、背中の酒をおろせ」
 ずかずかと佐兵次の傍に来り、酒タンポを引ったくり、口を抜くより早く椀に ついで一口呑んだ。役人の顔は変った。 「げう、佐兵、貴様は公儀の役人に小便を呑ましたな」
役人は佐兵をにらんで大喝した。酒タンポは投げつけられた。見よ異臭紛々た る悪液がタンポの中から流れ出すではないか、佐兵は一向平気、
「お役人様、それだから、さっきから小便だ、小便だと申し上げた筈、それをお 聞き入れなさらず召上ったもの」
 なる程、佐兵の言う通りである。役人も二の句は続けない渋い顔をして居る。 佐兵は我事成れりと酒タンポを取上げ、
「旦那様に大事な小便こぼされた」
 とつぶやきながら番所を通り過ぎた。番所を通り抜けると赤い舌をペロリ、翌 日は酒タンポに清酒を入れ、又番所に差しかかった役人、
「又来たな、背中のは何だ」
 佐兵次、すかさず、
「これが酒だ」
 役人は昨日の事でこりている。「もうよいよい、早く通れ」。しすましたりと佐 兵次、糠の目、窪田家中に行きて、その酒を高価に売った。かくする事幾度、し かし番所はいつも安々と通れた。そして佐兵次のふところ具合もよかった。
〈大正十五年高橋友吉〉
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