12 堪忍の話

 むかし江戸に、鎌倉時代、浅川宗信という人が、堪忍ということ、仲々むずかしいもんだ、この堪忍ということはええことだから、まずこれをみんな守っどええなぁということに考えて、そのあたりが浪人どもらが追って人のもの盗って、ただおどしに人のものなど盗ってばりいる世の中になったもんだから、二人三人で考えて、
「堪忍というものは、一番と大切なもんだことだ」
 て言うど、おれも入る、おれも入ると言うて、江戸中の話になった。ええことだ…。
 そうすっじど、浪人どもら「そんなこと」ということになった。どれまで堪忍ということされっかさんねが、いつか試してみろということになって、大勢のそういう者が寄っていつの何日(いつか)に来いということ言って、
「朝飯食ったら、すぐに来い」
 と。んだからそこさ行ったら玄関番は居て、
「そういう者は来たていうことを告げてもらいたい」
 て言うたら、
「しばらく待ちろ」
 て言うから待ちた待ちた。昼になっても来ない。
「はぁ、これぁごしゃげっこんだ、ここは堪忍のしどこだ」
 て思って、そしてこんどは昼になったから来っかなと思っていた。三時になっても四時にまでも動かないでそこにいたげんども、
「何か間違いでなかったか」
 て、番人に言ったが、
「いや間違いでない、いま少し待ちろ」
 て言うことで、待ちる、待ちる、夜まで待ちたど。来っかなと思ったげんども、これは堪忍することだな、まず唾液(したぎ)を呑んで待ちっだど。ところがこんどはようやくにして、「来い」ということ来たど。んだから先に立てて縁側をずっと行ったところが、奥の方に一室浪人どもらをいっぱい待たせて酒呑みしったところ、
「こっちさ上がれ、酒呑め」
「盃は一滴も口にさんね人だ」
「何だまず、口にさんね?酒ざぁ呑むもんだから呑め」
 て言わっでもその人は盃取んない。
「そんじゃ、そこさ曲がれ」
 て、こう言わっだもんだから、小馬鹿くさいと思ったげんども、そこさ手ついて曲っていたところが、てんでんに徳利から頭さ、
「呑まんねごんだらば、酒、頭からかぶせるから」
 て言うもんで、だらだら、だらだら、かまわずにたらす。ごしゃげた、ごしゃげた。身ぶるいするくらいだげんども我慢した。こんど「よし」と言わっだ。そうしてこんどはまず酒いただいて、礼釈して立ってきたど。そいつぁ江戸中さ広がって、それからその人はみんなにひき立てられて、大した人になったど。んだから堪忍というのは、ごしゃえだて、何したたて、まずそこは堪忍だからこれ一番もんだから…。
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