7 お釈迦さまの話道端さ、「何か食うもの、何か食うもの」ていう者いだったそうだ。年寄が通った時、「この人さ、何か食う者食せて呉ろ」「おれは働いて来て、もたらったオニギリ、ほんじゃらば半分やる」 て、そしてそのオニギリを半分やって、 「ほんじゃ、まず手出せ」 そしたば手何だか動かせなくなってる。 「ああ、嫁がせないせいだな、ほんじゃら立たねどこのも与えらんね、立て」 ていうたらば、立ったど。そしてそのオニギリもらって、そこさ手出されんべし、足は立たれんべし、 「働けば、そんげなことして食(か)んねざぁない。ただこうしてれば、足も立たなくなれば、手も動かなくなる。本当にノメり死にで、ここで死なんなね。生命おしいか、おしくないか」 て、その年寄に聞かっじゃど。 「おれぁ、まずこがえしったどんど死にたくない」 「死にだくないごんだら、おれのこと聞いて、おれのような年寄だって働いていっから、こうしてもらって食れる。んだからこのオニギリ食ったらば、働かなんねぞ」 て、こういう風にあずけらっだば、その手は少し動いたど。そして、 「ほんじゃ、鍬持(たが)がれっか」 その人ぁ、どっからか持って来てしてみたら、その鍬も持(だが)かれっかたど。 「働くとこういう風に動かれっこんだ。んじゃ明日から、かまわず食れるようにして呉れっから、働けよ」 て教えらっで、 「食だいごんだら、働けばええし、食たくないごんだれば働かねでええから、そのまんまで死んでええから」 て、生命おしいもんだから自分はその鍬持って働いたど。そしたば働いて喜ばって自分が一人でも食れるようになった。それはお釈迦さまであったど。 |
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