49 大淀大明神― 四ツ谷―大沼に、儀左ヱ門というどこから、女中さんが、畑しったもんだから、毎日、豆植えだか何だか知しゃねげんど、畑さ来ったんだてな。 して、昼間に水鏡見て、髪とかしたり、何かしったそうだ。 ある日、家さ帰って来ねなだどはぁ。その娘がよ。ほしてほれ、家で帰って来 ねもんだから、畑さ行ってだはずだて思って、畑さ来たわけだべ。したれば、ほ の沼のどこさ、ちゃんと草履が整わっていだけそうだ。んだからほの沼さ入って はぁ、主にでもさらわっだんだべて話になったんだど ほしたれば、夜に儀右ヱ門のどこさ枕神が立って、 「その晩、十二時に、宝もの呉っさげ、来い」 ていうことあったんだど。んだげんど恐っかないもんだから、儀右ヱ門の家で は来ねでしまったんだど。 「恐っかないし、来れば、まずわれも沼の主にやられる」 というんだべかな。 したれば、そのうち、水が破っできたんだど。ほんどき、上の沼から主が、今 の大明神の沼さ来たんだべていう話だど。 (四ツ谷・志田たまよ) 遠藤儀左ヱ門の家で蚕置いたとき、儀左ヱ門ではそこに桑取りに行ったもんだ。 毎日、若衆頼んで行ったもんだ。ところがそこさ行って下女が水鏡見てて、沼の 主にさらわっで死んだていうなだ。 その晩、儀左ヱ門のところに枕神立ったていうなだな。ほうすっど丑の刻に神 さまが宝物呉(け)っさげお詣りに来いていうなだど。一人でな。ところがさびしく行 がんねがったど。下の沼では四ツ谷の若衆も死んだ。儀左ヱ門家でも下女も死ん だ。御神体は青大将だともいう。また鯉の大きな見た人もいる。一間ぐらいの大 きなものだったそうだ。 (月山沢・遠藤たまの) |
(四ツ谷・志田たまよ)・(月山沢・遠藤たまの) |
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