12 長生きの盃九十才になって、なおカクシャクとしていたもんだから、九十才になって、お伊勢詣りすんべというわけで、郎党を引きつれて、お伊勢詣りに行って、どこの旅篭さ行って、どこさ泊っても、「おれは九十才だ」 ていうど、みな平身低頭して、まず、 「九十才になってお伊勢詣りなて、おめでたいごんだ、えらいごんだ」 て、礼賛すっかったて。 ところが、ある村さ行ったれば、 「九十才なて、とんでもない。おら方に百三十才になった者いた」 ていうことになったんだど。 「ほんでは、是非お盃頂戴すんなね」 ていうわけで、ほしてそこの家さ訪ねて行ったったって。ほしたれば居ねっけって。 「どこさ、ござった」 ていうたれば、 「山さ行った」 「はぁ、百三十才もなって山さ行ぐようでは、まず大した体力の人なもんだ」 と思っていだったて。ほしたれば、若衆つきそわれて、とぽりとぽりて、杖たよりに来た老人がおったど 「あなたさまでございますか」 て聞いだれば、「うん、おれだ」てだど。ほして、「何しにござった」て聞がっだわけだど。 「いや、こういうわけで、長生きのお盃頂戴にあがった」 て。ほう言うたれば、 「ほうか。希望だら、盃あげねわけでもないげんども、長生きぐらいひどいものはないもんだ」 て言うたって。 「まず、おれはこうして毎日山さ行ってんのは、山ばりだ、変らねな。丸い田んぼが四角になったり、三角な畑ぁ丸くなったり、道のないどこさ道切っでみだり、もう生まっだ時代とは、ほとんどちがってきている。それから息子に先立たれ、孫に先立たれ、逆目会っていんなね。とにかく、長生きは、ゆめゆめ好むもんでない」 百三十才になる人に九十才になる人が意見さっだって。 |
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