23 天邪鬼(あまのじゃく)蛙

 むかし、あるところに一匹の蛙がいました。何でも反対するので、天邪鬼といわれておりました。ある日、隣村のおじいさんから、
「田んぼの草とりに、誰かよこしてくれ」
 と便りがあったので、お母さんは雨蛙に、
「行って手伝ってくれ」
 と言いつけました。「ハイョ」と返事だけ立派にして、雨蛙は隣村に行かず、反対の方へ行ってにっこり笑って、
「草取りなんて真平だ。それよりも都に行って、花火でも見てくるとしよう」
 と言って歩きました。都へ行って雨蛙は楽しく遊んでいました。幾日かたって、田舎へ帰って来ました。雨蛙の天邪鬼ぶりは一層ひどくなりました。「塩を買ってこい」と言うと、南蛮を買って来たり、「魚買ってこい」と言うと豆腐を買って来るという仕末でした。
 そのうち、お母さんは重い病気になり、いよいよ死ぬ時がやって来ました。お母さんは自分の墓場を決めておきたいと思って、雨蛙に、
「私が死んだら、川端にお墓を建てておくれ」
 と、わざと悪い場所を言って死んでしまいました。天邪鬼の雨蛙のことだから、こういえばきっとよい場所にお墓を建ててくれるにちがいないと思ったからです。ところが雨蛙はお母さんに死なれて初めて親の有難さが判り、
「私はいつでも親に反対ばかりして来た、本当に申分けない、せめてお母さんの最後の言葉だけは、いいつけ通りにします」
 と言って、正直に川の端にお墓を作りました。そのため、雨が降るたびに川の水があふれて、お墓が流れそうになるので、雨蛙はそれが心配で、今でも雨が降りそうになると、雨蛙が鳴くわけです。

 この昔話は一般にデデッポッポの話になっているが、雨蛙の昔話は珍らしいものである。「テデッポッポ、カカぁ流れる」と唄が入るのが普通であるが、雨蛙の場合にはこれが入らないため、教訓ばなしに近くなってしまっている。
(金沢 新関光造)
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