(3)酒の篭抜け

 むかし、上杉さま領の頃、深沼・屋代(現高畠町)さ行くと、御領だったから、高畠ではうんとゆるやかな御年貢だったと。米沢では少し餓死(飢饉)になっど、酒造んな、着るもの着んなと、うんと厳しいものであったと。
 んだから、深沼の番所では、皆改めが厳しかったど。左平はこっちで酒造らんねとき、御領ではどんどん造っているもんだから、御領さ行って、酒をもって来るずも。酒樽を持って来っど、とがめられっから、左平は、
「一つ、あの役人野郎べらさ、小便呑ませて呉れんべ」
 とて、酒樽さ小便を詰めて持ってきた。そうすっど、
「その樽、なえだ」
「小便だ」
「この野郎、嘘つかして、小便なんて樽さつめて背負って歩くめえちゃえ、酒だべ」
「ほんなえ(そうでない)小便だ」
 役人が取っかえして、呑んでみたば、やっぱり小便だった。
「この野郎、太い野郎だ」
「ほだて、小便だて言うに聞かねで呑んだんだもの」
 そうすっど、次から酒を詰めて背負って来るげんども、
「あの野郎、また小便呑ませられっど悪いから呑むな」
 と、酒を持って来ても通したもんだと。
(上野 高橋照太郎)
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